この映画作品を観て、私は『風の谷のナウシカ』(宮崎駿の原作)の物語を想い起こした。
ナウシカの原作の物語(の結末)は、あらまし次のようなものだ。
高度な工業文明を達成した人類は、その昔、そのときどきの価値基準で「よりすぐれている」と判断した遺伝形質を人類自身と多く生物に組み込んで、地球の生態系を組み換えようとしたが、工業技術の発達と相まって地球の環境を破壊しつくしてしまった結果、文明とともに滅びた。
権益拡張競争のために高度な科学技術を推し進め、駆使した人類は、激しく勢力争いをして地球環境を荒廃させた。
崩壊直前の生態系に最後のとどめを刺したのは、人類が生み出したヒト型ゴジラ(生物兵器)とも言うべき――放射能火炎で世界を焼き尽くす――巨神兵だった。そして旧人類はそのほかの生物種とともに滅亡した。
現在生き残っているナウシカたち人類も腐海のあらゆる生物たちも、滅びる直前の旧人類が汚染された地球環境のもとで生存できるように遺伝子組み換えによって生み出されたミュータントだった。
ナウシカたち「新人類」もまた、汚染された環境のなかにわずかに残された生存可能な土地で生き残っていた。だが、各地に割拠する王国をつくり、武装し、やはり権益や勢力の拡張のために争い合っていた。
ところが、風の谷を支配する強国トルメキア王国は、隣接するドルク帝国の謀略に乗せられて、ドルク征服戦争を仕かけた。ドルクの皇帝は、旧人類のテクノロジー遺制を引き継いでトルメキアを大戦争に引きずり込んで滅ぼし、世界全体を支配しようともくろんでいたのだ。
こうして引き起こされた大戦争の結果、地上の生態系はさらに破壊され、腐海がドルク全体に膨張しようとしていた。
そんな危機のなかかでナウシカたちは、旧人類の工業科学文明の遺産を引き継いで、環境と生態系を組み換えて、ふたたび地上に高度工業文明を築くのか否かの決断を迫られた。
旧人類は、さらなる遺伝子組み換えテクノロジーを含む文明装置を遺産として残し、それをナウシカたちに継承するように迫ったが、ナウシカたちはその文明装置を完全に破壊してしまう。権益競争のために地球生態系を破壊しつくして自ら滅びた旧人類の文明装置と価値観を受け継ぐことを拒否したからだ。
それを受け継ごうと欲したドルク皇帝は、旧人類のテクノロジーの一部分を駆使して、生き残ったほとんどの人類を巻き込んだ大戦争を仕かけた。地表全体を腐海に飲み込ませたうえで、旧人類の科学技術で地表全体の生態系と環境を組み換えようとしたのだ。
だが、ナウシカたちそれはまさに旧人類の文明装置自体に競争や戦争に駆り立てる狂気の原因が伏在していると見たわけだ。旧人類が敷いた軌道の上を走り続けるのを拒否したのだ。
そして、旧人類から見て「異常な(劣った)遺伝子プログラム」をもったまま、生き残りに挑戦してみようと考えたからだ。いや、遺伝形質として「優越している」とか「劣っている」とか序列づけする価値観や文明観を拒否したというべきか。⇒『ナウシカの世界』の記事を読む
人類は、そのときどきの科学的知見が最高の基準だ思い込んで構築した価値観で秩序や権力の序列をつくり上げ、世界をコントロールしようと思い上がる生き物らしい。だが、人類史・科学史を見ると、過去のほとんどの科学的知見(世界観)は、あとになって限界をもち誤謬を含んだ狭い認識だと証明されてきた。天動説は地動説に死の威嚇をもって臨んだが、結局やがて覆された。
歴史が当たる教訓は、したがって、そのときどきに権威をまとった科学知識や世界観、つまりそのときどきの価値観や秩序を疑えということだ。
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