さて、ロベルト・カルヴィは若い頃から、銀行内の昇進の階段を駆け上がるために、また保身と人脈づくりのために、政財界や裏社会に隠然たる力をおよぼすフィクサーたちとコネクションを築き上げていきました。
最初に接近した大物フィクサーは、シチリア出身の法律家にして銀行家、ミケーレ・シンドーナです。彼はマフィアやCIAとの後暗い関係を指摘されていました。
やがて合州国当局の訴追と追及を受けて彼が没落すると、次はイタリアの政財界の黒幕的ドン、リチーオ・ジェッリにさらに接近しました。
シンドーナは結局、アメリカ官憲に逮捕され法廷に引き出され、その後、投獄されますが、収監中になぞの服毒自殺をとげました。
ジェッリは右翼的思想の持ち主で、ヴァティカン、政権党のキリスト教民主党、社会党、財界、ファシスト団体、マフィア、さらにはCIA現地エイジェントなどに強い影響力をもっていました。
この闇の紳士、ジェッリは、フリーメイスンのなかではやや見劣りのする《P2》という陳腐なサークルの中心人物で、その組織者・指導者でした。
この組織は、 Lodge Propaganda Due (直訳すると「プロパガンダ2」)という、うがった名前の「地下組織」です。別の訳をすると「第2戦線」「影の情宣隊」というほどの意味になるでしょうか。略してP2ロッジと呼ばれました。
これには、政党幹部や軍の要職者(NATO幹部を務める将官を含む)、教皇庁の役員、有力だが異端派ないし成り上がり者の財界人、テレヴィ局・新聞社の重役などが加盟していました。
先頃、首相を務めたベルルスコーニも会員――当時は下っ端の陣笠会員(数合わせだけの役割)――だったといわれます。
猛烈な上昇志向・権力志向の者どもが、後ろ盾やコネを得ようと群れ集まったような観があります。
映画「ダヴィンチ・コード」で狂信的な右翼的教団=信徒会として描かれた「オプス・デイ」の幹部も、このP2の会員で、いくつかのテロや騒動に関与していたとかいう噂もありました。
ここでも、「影響力の手形交換」が繰り広げられ、カルヴィは銀行の取引き安全や信用確保、妨害排除、自身の保身のためにフィクサーたちの庇護や影響力を頼むのと引き換えに、多額の融資、しかも多くの場合、返済無期限の融資を求められました。
カルヴィ事件が大スキャンダルになり、ジェッリはイタリア警察の捜査を受け裁判にかけられましたが無罪となり、その後は自宅軟禁生活を送り2015年にイタリアの自宅で亡くなりました。
ところが、彼の事務所と実の娘の手荷物からはP2ロッジの「会員名簿」や「右翼によるクーデタ計画の資料」なる書類が発見され、スキャンダルはさらに底なしの疑獄に発展しました。
2021年1月11日、小柳久紀さんから以下のように事実関係の訂正に関する情報をメイルでいただきました。
ヴァチカン銀行総裁のマルチンスクはイタリア系アメリカ人ではなくロシア系(リトアニア系)アメリカ人です。 またP2のLiccio GelliはR.Calvi事件後、「南米に逃げて今も行方不明」との事実は何処からお知りになりましたか?Gelliは事件後、イタリア警察の捜査を受け裁判にかけられましたが無罪となり、その後は自宅軟禁生活を送り2015年にイタリアの自宅で亡くなりました。亡くなる前にも幾度かジャーナリストのインタビューを受け、それらがyoutubeに投稿されております。また、L.Gelliは大変な大物だと思いますが。
これらの資料は証拠として財務警察(財務省の警察隊: guardia di finacia )によって押収され、P2に属する幹部の制止圧力をはねのけて、公表されました。
名簿にはキリスト教民主党や社会党の有力政治家、有力財界人、国営企業ENIの重役、ヴァティカンの要職者、NATO参謀を兼務する将官、マスコミ関係者(このほかにもCIAやペンタゴンの幹部)など多数が連座していて、それこそヨーロッパ中が大騒ぎになりました。
P2ロッジの会員たちは、秘密の会合や同志的集会では黒衣の僧衣を身につけ、互いに仲間を「修道士」(英語では friar )と呼び合ったといわれています。
ここから、カルヴィがシティのブラックフライヤーズ橋で縊死していたのは、彼の裏切り(取調べでの証言)に対するP2ロッジの報復殺害によるものに違いない、という憶測が生まれました。
また、彼の上着のポケットに詰め込まれていた煉瓦は、「煉瓦工」や「煉瓦建築職人」すなわちメイスンを暗示するということで、ゆえにやはりカルヴィ殺害の首謀者はP2だ、というまことしやかな評論が飛び交いました。