さて、利用価値がなくなった手駒はあっさりゴミくずのように捨てて、あくまでヴァティカンを守る、というのがマルチンクスの信念です。
有力な金融資本家に成り上がり、それまで銀行内や金融界で絶大な権力をふるってきたカルヴィは、このときになって、支配システム、権力構造の恐ろしさを実感したに違いありません。
どんなに有力な政治家、財界人であっても、結局のところ権力システムの磁場のなかで意識と行動を制約される傀儡(マリオネット)にすぎない、と。
それでも彼は、控訴審公判までの保釈(拘留解除)期間を利用して名誉回復や会社の信用回復のための攻勢に出ました。しかし、その多くは頓挫しました。
しかし、崩れかけた金融帝国のなかではまだ権力を保っていたかに見えます。つまりアンブロジアーノの重役会では、カルヴィの頭取続投に面と向かって反対する取締役はいませんでした。
それでも、副頭取ロベルト・ロゾーネは役員会で、カルヴィの挽回戦術に疑問を投げつけました。
このロゾーネは、その直後にマフィアの暴漢に襲われ、銃で脚を撃ち抜かれてしまいます。脅しでしょうか。
カルヴィから資金を絞りとって肥え太ってきた闇の勢力が、犯罪やスキャンダルの発覚とか司直の介入を少しでも先延ばししようとして、画策したのでしょうか。
他方、カルヴィに肩入れして(あるいは騙されて)、資産を失った闇の勢力もいたでしょう。
こうして、銀行への圧力・圧迫は、司直の側からも、銀行を利用した闇の勢力側からも強まってきました。
しかし、イタリア銀行(中央銀行)と財務省は秘密取引きの情報開示(グループ全体の連結財務諸表の公開)を迫り、司法当局、マスコミ、世論の指弾・批判によって、彼はいよいよ追いつめられていきます。
彼が最後に助けを求めたのは、皮肉にも、教皇庁、政財界、マフィアなどのあいだを取り持つフィクサー、フラヴィオ・カルボーニでした。
彼はサルデーニャに拠点をもつ出身の実業家(大地主で不動産業や建設業を経営)で、政財界や軍、官憲の裏情報に通じていました。カルボーニの手配でカルヴィは国外に逃れます。
しかしカルヴィは、酷薄に生殺与奪権を行使する「闇の組織の窓口係」に身を委ねたのかもしれません。彼はヨーロッパのあちこちをたらい回しに連れまわされ、ついにロンドンでマフィアの下部組織に暗殺されたようです。
ついに自殺に見せかけて、あるいは「見せしめ」になるように奇妙な仕方で吊るされました。
カルヴィの失踪、死体発見、そしてアンブロジアーノへの本格捜査……、一連のスキャンダルは、ついにアンブロジアーノ銀行に最後のとどめを刺しました。
この金融グループが発行または仲介していた株式、債券などの有価証券はほとんど紙くず(ジャンク)同然になってしまいました。
当時、マスコミでは連日のように、虎の子の預金を失って途方にくれる庶民について報道されました。
彼らはこのバブル崩壊の直前まで、銀行窓口で預金を元手にした投資話を、それもかなり強引に持ちかけられていたのです。泣き崩れる老夫婦も多かったとか。