1970年代末、世界はまだ冷戦時代。
その頃、すでに深刻な経済危機に陥っていたソヴィエト側勢力は、動揺しながらも外見上はまだ強固に見えました。
西ヨーロッパではイタリア、次いでフランスで共産党が躍進し(ユーロコミュニズム)、とりわけスペインやポルトガルでは独裁政権が崩壊し左翼の勢いが上昇していました。
イタリア共産党は総選挙のたびに支持率を伸ばし、ついに30%を超えてキリスト教民主党に並び、政権参加の目前にまで迫っているかに見えました。
そのせいか、アメリカの軍事部門やCIAなどは、ヨーロッパ全域で左翼への対抗政策として右派・右翼への資金供与とか組織的支援のために、世界各地の銀行(とりわけ国際業務を専門とする銀行)への浸透を強めていました。
規制緩和や自由化の流れのなかで、各国中央銀行の統制機能は弱められ、監視が甘くなり始めていましたし、オフショア取引きなるものが世界市場での資金流通、とりわけ短期的移動の主要な割合を占めるようになっていました。
そこには、OPECの反乱ののち立場を強めたアラブ地域の石油取引きに関連した膨大な資金(オイルダラー)が流れ込んでいきました。
そのほか、――その後悪名を轟かせることになる――BCCI(国際商業信用銀行)も、南ヨーロッパの金融中継拠点として、教皇庁とアンブロジアーノを利用していました。
この銀行は、アグレッシヴな経営、というよりも節操のない金融機関で、およそ世界中の闇資金の移動やローンダリングにかかわり、とくにアラブや中央アジアでの謀略やテロに――CIAの裏工作を資金的に支えるエイジェント、地域金融機関として――資金供給していました。
そのため、放漫かつ乱脈な経営がいきづまって、ついに80年代末に破綻することになりました。
アフガニスタン戦争のとき、アルカイダへのアメリカの工作資金を仲介したのも、この銀行でした。
おりしも教皇庁では、イタリア系アメリカ人の大司教マルチンクスが、教皇の恩寵を受けて宗務庁の総裁を務めていました。
彼は個人的にも権力志向で蓄財を好み、しかもアメリカの保守派や右翼、マフィア、カトリック教会との結びつきがあって、ときにはレイガン政権のヴァティカン政策、イタリアおよびヨーロッパ政策のロビイストも兼務し、あるいは政治工作の資金的協力者となっていたようです。
1979年当時、教皇は老衰が進み、もともと保守的で左派嫌いだったのが、さらに老醜の一徹で、教会の右派・保守派の人脈を周囲に配置していたようです。
教会内の右派の傍らにはほとんど例外なく、グレイゾーンに片足を踏み込んだ右翼フィクサー、そしてシチリアのマフィア、サルデーニャの暴力組織などが控えていました。
シチリアのマフィアが第2次世界戦争の末期に連合軍のイタリア侵攻=解放を手助けし、そのためアメリカ軍や連合軍から優遇され、南部イタリアで政治的・経済的優越を獲得したことは、すでにこのサイトで見ておきました。
その後、マフィアはCIAやNATO(おそらくは本部からの統制がきかない末端組織)とのコネクションを維持し、冷戦キャンペインや反左翼運動、政界裏工作などで結託していたようです。
当時は、東西両陣営とも、相手に打撃を加えるならば、建前のイデオロギーには無関係に、どんな後ろ暗い組織とでも手を組もうとしていたようです。
まあ、それが「冷戦の実態」といえば実態なのですが。