イタリアの政治は、ヨーロッパの地政学という環境によって強く影響されていました。
地理的に見るとイタリアは、第2次世界戦争後、政情不安なバルカン半島および東南ヨーロッパの「社会主義圏」と隣り合わせに対峙する「西側世界」の最前線に位置していました。
イタリア半島は、アドリア海を挟んでユーゴスラヴィア(現在のスロヴェニアとクロアティア)やアルバニアと向かい合っていました。ヴェネツィア市とスロヴェニアのトゥリエステ市の2大都市は国境を挟んで接していました。
そして、オーストリア南端の地方を隔てて、わずかな距離でハンガリアがありました。
国境警備がゆるいオーストリア・ハンガリア国境を経て西側に亡命・逃避してくる人びとのうち、かなりの部分は、イタリア経由でフランスやブリテン、あるいはアメリカなどに渡っていきました。
要するに、当時のドイツ連邦共和国と並んで、隣り合っている東側世界の動乱や工作による影響を受けやすい地理的環境にあったのです。
当時イタリアは、第2次世界戦争後の連合軍の占領統治時代から冷戦体制という流れのなかで、混乱したした国内事情とともにアメリカの世界戦略やヨーロッパ国際政策の影響もあって、国政の混乱、ドタバタ劇が繰り返していました。
政変やスキャンダルが繰り返されていました。
これには政界の大物や政権党の派閥、マフィアや企業、銀行、軍関係者、極右と極左のテロリスト(極左の背後にはソ連の諜報組織、ときにはCIAの影さえあった)、スパイ、さらにこれにかてて加えて教皇庁が絡んでいて、そのほかの有象無象もろもろを巻き込みながら、多数のセクトが入り乱れて、政争や利権の争奪戦が展開していました。
こういう権力闘争に、買収・賄賂によって行政官僚や官憲、司法関係者が取り込まれ、「汚職大国」「腐敗大国」といわれていました。
しかもこれには、戦争後の荒廃からの復興、そして産業再生や基幹産業育成のために政府が創設した国営公社(国営企業)とその幹部も多数絡んでいました。
当然のことながら、さまざまな規制権限をもつ官庁をも巻き込んだ企業間の競争=権益争奪戦に参加するかぎり、アンブロジアーノ銀行も、政財界、官界、聖界、軍事の権謀術数の世界に取り込まれていました。
とりわけ、1970年代後半には、世界市場におけるドルの膨張のなかで財政危機に陥ったアメリカ政府が主導して、国際金融および国内金融の自由化の流れが強まります。
金融の再編と絡んで投機や闇資金の洗浄、不正送金などの謀略が頻発し始めていました。