その頃、ルイジアナ州ニューオーリンズの名門テューレイン大学の法科大学院では、抜群の業績を誇るトーマス・キャラハン教授が講義をしていた。彼はローゼンバーグの愛弟子だった。だが、中年になったトーマスは、最近、大学院でのクラスの講義や指導に倦み始めていた。若さを失いつつあると実感するようになった。
そのためか、大学院に在籍する教え子でもある女性、ダービー・ショーを恋人にしていた。若者に特有の才気と意欲にあふれる美女に惹かれたのだろうか。毎晩、彼女の部屋に入り浸っていた。
ある夜、2人は、最高裁判事が同時に2人も暗殺された事件の背景を話題にした。「なぜ、2人の判事がこの時期に殺されたのか。暗殺の動機や背景は何か」と。
法律家をめざす法科大学院生にとっては、現職の最高裁判事の法律家としての立場や判決履歴を学ぶのはルーティンみたいなものだ。だから、ダービーはキャラハンの前で、ブレインストーミングのように、死んだ2人の判事の立場と一連の判決での主張を並べ立てていった。
片やリベラルの急先鋒、片やごりごりの保守派。この2人を消すことで、最高裁の判決の傾向は変わるのだろうか。変わるとすれば、2人の判断が共通するであろう事件をめぐってだろう。
共通する判断領域があるならば、それが、2人の殺害が同じ容疑者の動機にもとづくものだという推理の根拠となる…などと、遊び半分で論理を展開した。
そうだ、2人は急進的な環境保護派だ。開発推進派の企業の願望を、2人は環境保護という防壁によって押さえ込んできた。だとすれば、暗殺の依頼者は、環境保護派との訴訟の当事者となっている開発企業家ではないか、と。
キャラハンは、ダービーの論理の展開に感心して、そのプロットで少し調査して論稿にしてみたら、と慫慂した。それが、やがて彼らの悲劇の発端になるはずだった。
ダービーは、翌朝から、連邦公文書館を回り、大学の図書館で資料を集め、大学院での講義も放り出して、徹夜して、2つの暗殺事件の背景を探る梗概(概要書)を書いた。題して「ペリカン事件の概要書」。
内容は、こういうものだった。
ルイジアナ州、ミシシッピ川河口地帯に広がる湿原。そこは、ペリカンをはじめとする野鳥の貴重な棲家であり、多数の渡り鳥の越冬地となっている。
先頃、この湿原で原油開発と採掘を狙う大企業が、湿原の保護のために開発差し止めを求める環境保護派との訴訟(ルイジアナ法廷)で敗訴した。この石油会社のオウナー経営者、ヴィクター・マティースは、現職大統領の友人で、その政治組織への最大の支援資金提供者だった。
彼は、闇のルートをつうじて国際的テロリストを雇い、巨額の報酬と引き換えに、最高裁判事のうち2人の環境保護派の殺害を依頼した。暗殺は成功して、最高裁判事団に2つの空席が生じた。大統領は議会に、最高裁判事の補充人事案を提出することになった。
ヴィクター・マティースは、その人脈と影響力をつうじて大統領に、環境保護よりも企業利益を優先させるような人物を補充人事リストに掲げさせることができる。とすれば、数年後に最高裁が「湿原の環境保護か開発か」について裁判の最終判断を下すことになる局面で、判事団の力関係を開発優先派を有利にできるだろう。
こうして、2人の最高裁判事の暗殺(テロリスト)、石油開発企業、大統領府は、ペリカンの棲家を奪う、闇のトライアングルを形成しているのではないか。
トーマス・キャラハン教授はプロットの面白さに感動して、その概要書をもらうことにした。あとで、じっくり検討しようと思ったのだ。