ペリカン文書 目次
大統領府の謀略
原題と原作について
見どころ
あらすじ
発   端
法科大学院で
「概要書」の独り歩き
大統領補佐官の暴走
  殺し屋カーメル
  「内通者」ガルシア
忍び寄る魔の手
  ヴァヒークの殺害
グランサムとダービー
追い詰められる大統領
ダービーとグランサムの闘い
カーティス・モーガンの死
ダイイングメッセイジ
反撃、そして取引
大統領失脚
作品が描く人物と社会
  ダービーの能力
合衆国の司法制度の1断面
  陪審制とサーキットコート
  複合的で多様な裁判制度
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医療サスペンス
コーマ
評  決

合衆国の司法制度の1断面

  次に、アメリカ社会の断面について。
  アメリカ合衆国は、独立革命の過程でもともとは独立の国家(政治体)をなしていた諸州が政治的・軍事的に同盟し、法的な形式としては合衆国憲法――連邦構成条約としての憲法――を批准して、統一的な国家を形成してきた。したがって、今でも州の主権は大きく、州内の政治体制や統治機構、司法制度、法制・税制も相当の独自性を保っている。この独自性こそが、物語が動き出すスイッチとなっているのだ。
  物語としての一連の事件の発端には、ルイジアナ州の地方裁判所制度の特殊性があるということだ。
  おそらくは、250年以上前のフランス植民地時代から始まって、この州が独特の政治体、地方社会として成り立っていき、やがて合衆国連邦に統合される過程の歴史が、その裁判制度に織り込まれている。

陪審制とサーキットコート

  それは、 Fifth Circuit (Court) と呼ばれる制度だ。この制度について、私はこの映画を観てはじめて知った。調べてみたが、しかし、ごくごくわずかな輪郭しかわからない。その「ぼやけた輪郭」をなぞってみる。

  サーキットコートとは、本来は中世イングランド王国でおこなわれていた「巡回裁判所」に起源をもつ。16世紀までは王国とは言っても、各地方では領主たちが主権を行使していて王権はイングランド全域を直接に統治できなかった時代、王は自らもしくは代官を各地に巡行させて地方ごとの裁判集会をおこなった。それは王の権威を各地方に伝達するために重要な催しだった。
  やがて王権による統合が進むと、地方ごとの慣習法を超えた王国の法制度を浸透させるために、あるいは同種の事件について地方ごとに異なる判決が出た場合に判例の調整や統合をおこなうために巡回裁判を利用するようになった。
  北アメリカでは独立の後、法律の専門家が少なかった時代、まさに大陸的で広大な連邦各地方の裁判の控訴審・上級審として巡回裁判所が設けられた。同一または同種の事件について各地方ごとに異なる判決を調整・統合したり、なかなか浸透しない憲法=連邦条約の法制を各地方に普及したりするために利用されたと見られる。
  連邦の控訴裁判所は全部で13あるが、フィフス・サーキット(第五巡回裁判所)とは、もともとは合衆国の南部諸州――ルイジアナ、フィロリーダ、テクサス、アラバマ、ジョージア、ミシシッピ――の控訴・上訴審として各州の各裁判管区を巡回する法廷だった。現在は、ルイジアナ州、テクサス州、ミシシッピ州の各管区をカヴァーしている上級審となっている。

  まずは、アメリカの裁判での陪審制 the jury syetem 。知ってのとおり、これはある範囲の訴訟事件について、相争う当事者の言い分を吟味審査して判断を下す過程で、専門の法律家としての裁判官や弁護士(刑事事件では当事者の一方が検察)のほかに、陪審員ジューリとして一般市民を参加させて、判決については彼らの評決にゆだねる制度だ。
  それゆえ、審理過程では、原告・被告双方の弁護士の論陣が、論理的に綿密な精査よりは、庶民としての陪審員へのアピール・印象を重視しすぎるという傾向はあるようだ。
  しかし、普通の市井の庶民たちが、まさに社会の構成員として、当事者の言い分の正邪、真偽を自己判断し、社会秩序を自ら形成するという論理は重要である。そこには、政府や議会、裁判所は、世間を織り成す市民たち自身の代表者にすぎないのであって、こうした国家装置は、総体として市民の意思や決定を代行する媒体にすぎない、という考え方を示すからだ。
  素人の判決だから、個々には判断の誤りはあるだろうが、しかし、その判断の誤りをも市民自身が検討し、修正していくのだ、秩序の形成主体は政府や議会ではなく、市民集団自身の手にあるべきだ、というわけだ。

  とはいえ、ある事件が、やがて連邦全体の利害や今後の政策形成過程全体にかかわっていくであろうという事件の場合、1地域の住民から選ばれた陪審員団の評決では、専門家の視点から見て、偏りがちではないかという懸念がある場合はどうするか。あるいは、刑事事件で、有罪・無罪の評決に、専門の法律家から見て一定の制約条件がありはしないかという場合は?
  もちろん、裁判官は評決の内容そのものには立ち入ることはできない。しかし、法律や立法政策の専門家として見たとき、裁判の評決そのものは変更しないが、評決の法的な実効性についてある程度の修正や制約を加える必要がある、というような場合には?

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