第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第5節 商業経営の洗練と商人の都市支配
この節の目次
13世紀のヨーロッパでは、全人口のうち人口1000を超えるような都市に住んでいたのはせいぜい1割にすぎなかった。人口数百程度の都市集落――大きな農村集落と大差ない都邑――に居住する人口も含めれば、3割近くになったかもしれない。人口の圧倒的多数は、農村に配置されていた。
しかし、すでに見たように、都市の商業資本は各地の社会生活での物資と貨幣の流れを支配しようとしていた。また、近隣の君侯・領主は都市に自治権を認める代わりに、その財政的支援を期待した。あるいは、特権や保護を与える代わりに都市から税や賦課金を取り立てた。こうして、在来の権力と結びついて、都市と商業資本の権力のネットワークがヨーロッパ的規模で編成され、そのなかに多数の領主や君侯の家政=財政と支配圏域を引きずり込んでいった。君侯・領主の家政収入――したがってまた権力(軍事力)と権威――が都市と商品流通に依存するようになっていった。
15世紀までは「都市」とはいっても、北イタリアやイベリア半島を除けば、その人口は限られていて、人口が1000未満の都市集落がほとんどで、1000から2000の住民をもつ小都市が数%、人口1万を超える大都市は100に満たなかったという。
それでも、中世の人口分布を考えれば、周囲の農村的世界に比べて飛びぬけて高い人口密度と影響力をもっていたといえる。そして、司教座都市から発展した場合が多かった大都市では、人口の数%は教会や修道院の聖職者が占めていた。彼らは宗教施設に暮らしていた。
城館のような威容を誇るロンドンのギルドホール▲
フィレンツェの風景:高い塔は権威を象徴する▲
たいていの都市は富裕層の居住区、都市政庁や商人のギルドホール、聖堂などの宗教施設や公共施設が集中する区画、都市貴族などの富裕者の邸宅が並ぶ区域、工房が集中する区域、貧民居住区などが分かれていて、多くの場合、都市の権力構造、産業構造がそれなりに反映される地区割りになっていた。都市は権力や統治の仕組みや秩序を空間的=視覚的に表出し、住民に権威への服属を示唆する場所=装置だったのだ。
▲フィレンツェ:都市の中央部には教会聖堂や市政庁舎が並び
都市の階層秩序を空間的に演出する
業種別に商人や工房がまとまった街区がつくられたのは、そもそもは司教や君侯などの都市領主が支配と統制をしやすくするためだった。やがて商工業の発達によって都市が成長する局面になると、業種別の商人団体による課税・徴税の業務を管理しやすくするためであり、親方職人層が業種ごとにツンフトを結成して工房群を統制するためだった。
はじめは都市領主による、そしてその後は自治権を獲得した都市団体による課税・調整の実務は、それぞれの商人団体にゆだねられていた。また、消費税などの流通税については、課税・徴税業務が、入札で落札した個別商人に委託される場合も多かった。
都市の商業は外に向かって広がり、手工業は多様化した。はじめは、もっぱら都市領主の生活のために集められた小売商人や手工業者は、やがて、人口が増大していく都市住民のために製品や食糧、衣料を提供するようになった。手工業と小売業などの多様化とともに、10世紀からは、職種によって専門化された街路が現れる。たとえば、肉屋通りや魚屋通り、金物屋通りである。
建物に店舗を構えたのは資産力がある商人であって、多くは、市場通りに屋台を借りて食糧や細々とした日用品を商う商人だった。彼らの下には、担い売りの商人たちがいた。都市の住居、倉庫、集会所、市場店舗、パン焼き小屋や冶金工房などは、成功した遠距離貿易商人や金融商人が所有し、都市生活の再生産に必要な諸手段を掌握していた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成