第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第5節 商業経営の洗練と商人の都市支配
この節の目次
都市の街路は活気にあふれてはいたが、息がつまりそうなくらい悪臭に満ちていた。そこには、家庭のゴミや汚物(糞尿)が住居の戸口や窓から投げ捨てられ、道路の中央の排水溝には汚物が流れ込み悪臭によどんでいた――というのも一般に排水用の窪み=溝が街路の中央部に切り込まれていたから。建物には窓はきわめて少なく、風通しは非常に悪かった。建て込んだ隙間を縫うような街路は狭く曲がりくねり、しばしばアーチが覆いかぶさっていた。両側には、商人や職人の家が開け放たれたままになっている。そこを、行商人や二輪馬車、荷車、騎士、僧侶、野良犬が押し合いへし合いしながら通り抜けていくのだった。
大きな都市でも古くからの中心街にあとから加わった街区では、ところどころに農地や草地・空き地があって、住民たちが豚や鶏などの家畜・家禽を飼育していることもあった。小さな街となれば、いたるところに耕地や草地が割り込んでいた。
都市の衛生状態は極端に悪く、街路は不潔で、家畜や家禽の飼育場所はもとよりネズミやダニ、ノミなど病原菌の宿主が増殖しやすい環境だった。街路は狭く、家は風通しが悪くジメジメしていた。ペストや天然痘などの疫病が猖獗をきわめるのは、けだし当然というありさまだった。
疫病の蔓延から学んだ都市当局が、より広い街路の市街地を設計し、馬車道を管理し、便所や下水溝を整備しようとするのはやっと16世紀になってからだ。とはいえ、それでも衛生環境はわずかに改善されたにすぎない。そういう状態が、贔屓目に見ても19世紀はじめまで続いた。
同じ時代にイスラム世界で見られた上下水や廃棄物・排泄物処理、教育などの施設が整備された、清潔な大都市に比べて、ヨーロッパの都市は著しく劣悪だった。ところが、数世紀後にイスラムも含めた世界を支配することになる商業資本の権力は、そこから生まれてきたのだ。
零細な商業や手工業の担い手たちは、工房の親方であってすら、元手や原料、作業場などの生産手段については完全に商人の支配のもとで製品を販売し製造していた。やがて、親方職人層はツンフトを組織して、守護聖人の崇拝や相互扶助をおこなったり、都市団体や商人に対して自分たちの利害を主張したりするようになったが、富裕商人層への経済的従属は変わらなかった。
また、都市内または都市の支配がおよぶ地区のなかで特産物となる手工業製品、たとえば織物、甲冑や剣などの武器、金属工芸品、皮製品などの世界市場向け商品が生産されているときには、貿易での商品評価を維持するために、参事会は製造技術・品質・量目などについて厳格な統制管理をおこなった。職種別に手工業者の数さえ制限した――ただし、これは既存の手工業者に経済的特権を与えることにもなった。
職人たちは、経済的従属に加えて、参事会=商人団体が決めた方法にしたがって技術的にも従属して生産活動をおこなった。その最たるものが、前貸問屋制
Verlagswesen であった。ツンフトが形成されてからも状況は変わらなかった。むしろ、細目にわたる品質や工程の管理を引き受けたツンフトは商業資本の統制権力の伝達装置として機能していた。とはいえ、それは親方職人層や自立した熟練職人層の政治的な結集の場となり、あまりの横暴な商人の支配に対する組織的な反乱を企図する場ともなった。
同じツンフトでも業種によって都市内の階層序列のなかでの地位は異なっていた。概して、組合に属す親方職人が商人としての性格が強いほど立場が強く、都市でも上位の序列に位置していた。たとえば建築や石工、美術品――聖堂・教会施設や宮殿や邸宅やその装飾にかかわる――など特権・富裕階級を顧客とし、権威や威信を表現する意匠や技巧が要求される業種では、親方は商人としての立ち回り――金額や意匠=品質などをめぐる交渉や駆け引き――が必要だった。それゆえまた、都市社会における地位も高かった。
またフランドルや北イタリアの高級毛織物や絹織物、武具甲冑を製造する工房も同じ事情で都市秩序のなかで高い地位を認められていた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成