第2節 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

この章の節の目次

1 ヨーロッパ貿易の勢力配置

ⅰ アントウェルペンの繁栄

ⅱ ポルトゥガルの隆盛

ⅲ ヨーロッパ世界貿易の構造的変動

ⅳ エスパーニャの栄光

2 アントウェルペンの挫折

ⅰ 宗教紛争と諸王権の対抗

ⅱ エスパーニャ王権の集権化政策

ⅲ ネーデルラントの反乱と戦争

3 間奏曲としてのジェーノヴァの隆盛

ⅲ ヨーロッパ世界貿易の構造的変動

  バルト海・北海交易路でも、アントウェルペンの優位をもたらすような力関係の変動が生じていた。大西洋諸島からの砂糖の輸入によって、ハンザが取り仕切っていた蜂蜜の取引きは激減したうえに、ホラントとゼーラントの船舶海運がハンザの船舶の優位を掘り崩しつつあった。
  ロンドンの商人は貿易商人組合 Merchant Adventurers を結成し、王権の後ろ盾を得てブリテンの毛織物の生産と輸出を掌握し、アントウェルペンを staple market (指定市場)としてイングランド産毛織物の特権的な交易地に仕立て上げた。だが、この時代に毛織物生産で最も付加価値が高かったのは、毛織物生地の染め仕上げ加工であったので、イングランドはいまだに二流どころの役割しか演ずることができなかった。
  そして、高地ドイツ商人たちが、ライン河舟運をつうじてぶどう酒、銅、銀をアントウェルペンに搬入した。なかでも南ドイツ産の銀は、アウクスブルク金融商人の影響力浸透の基盤だった〔cf. Braudel〕。ポルトゥガルが持ち込んだ高価な香料――飛び抜けた希少価値があったので貴金属貨幣の代用物にもなった――の販売経路の構築と取引きの決済システムとを貨幣的側面から支えたのが、この銀と南ドイツ商人の金融能力であった。
  ポルトゥガル商人はインド洋地域で、銀または銅と引き換えにアジア産の香料を調達したのだ。そのため、大量の銀と銅は、南ドイツないしは中部ドイツからアントウェルペンを経由してリスボンに向かい、さらにリスボンからインド洋に向けて積み出された。ヨーロッパ遠距離貿易(仲介・卸)での販売と決済にも、銀が利用された。香料の最大の消費地はフランデルンを中心とする北西ヨーロッパだったので、多様な商品が出会うアントウェルペンは地金循環の軸心として地理的に最適な配置であった。
  こうして、ヴェネツィアの香料貿易の独占は崩れ去った。ヴェネツィアは、アジアの特産物がインド洋からレヴァントと地中海を経由してヨーロッパに持ち込まれる中継地となっていた。だが、ヴェネツィアの有力商人たちは貿易からしだいに撤退しようとしていた。代わりに、ドイツやネーデルラントの商人たちが買付けに訪れるようになっていた。

  アントウェルペンを中心とする膨大な商品取引きにともなう信用供与と決済には、手形割引きが利用されるようになった。複式簿記の普及とともに、借方と貸方という両方向の決済は、為替手形から持参人払いの債務証書 cedules obligatoires によるものに置き換えられた。商人たちは、自分が裏書署名した証書を受諾した相手に売り渡すことができるようになった。証書の譲渡=流通を保証したのは、この証書の割引き制度であって、時間に料金がついたのだ〔cf. Braudel〕。つまり、商品取引きの飛躍的膨張には、貨幣流通と信用制度の発達がともなっていた。

  この場合の債務証書とは、支払期限を約束した文書で、つまりは支払約束手形ということだ。これが書面の裏側に署名することで「有価証券」として流通することになったのは、信用の仕組みが高い水準にまで発達して非常に大量の債務証書が流通するようになるとともに、リスク管理が容易になったからだった。債務証書のやり取りは、決済勘定での貸方・借方の相殺の手段として以前から利用されていたが、いまや有価証券として流通するようになったのだ。
  割引きができるようになったということは、支払期限までの日数に一定の割引率をかけて算出した金額を差し引いた額面の有価証券として金融商人が引き受ければ、換金できるということだ。割引率は、通常の利子率にリスク比率をかけあわせて算出する。要するに本質的に、割引とは――支払期限までの時間を遡っての――利子の遡及計算による差引きということになる。
  当時、このような債務証書取引き(振出し)が認められたのは、信用度が高い――特別の当座勘定を設定できる――有力商人層だけだった。だが、手形割引(手形取引き)にまで利子率が適用されるということは、貨幣循環が時間経過とともに利子を生み出すという商慣行=流通原理が全般的に普及したということを意味する。マルクスが言う「利子生み資本」の仕組みがヨーロッパ世界市場に出現したという意味で、画期的なできごとだといえる。

  こうして、膨大な貨幣と信用がアントウェルペンを通過していったにもかかわらず、本格的な金融市場と銀取引市場は成長していなかった。ヨーロッパ貿易での金融循環は、16世紀初頭には、リヨン、ジェーノヴァ、カスティーリャの大市を拠点として循環する為替手形や決済手段(銀地金)のやり取りでまかなわれていた。とはいえ、1520年代にネーデルラントからブルゴーニュにおよぶ地方を支配することになったハプスブルク家とヴァロワ家との戦争が続き、遠距離通商路があちこちで途絶・麻痺したために、銀の供給も逼迫しがちになった。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

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序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望