第2節 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

この章の節の目次

1 ヨーロッパ貿易の勢力配置

ⅰ アントウェルペンの繁栄

ⅱ ポルトゥガルの隆盛

ⅲ ヨーロッパ世界貿易の構造的変動

ⅳ エスパーニャの栄光

2 アントウェルペンの挫折

ⅰ 宗教紛争と諸王権の対抗

ⅱ エスパーニャ王権の集権化政策

ⅲ ネーデルラントの反乱と戦争

3 間奏曲としてのジェーノヴァの隆盛

2 アントウェルペンの挫折

  結局のところ、アントウェルペンの盛運も、世界市場=諸国家体系における優位をめぐる諸王権の敵対、エスパーニャ王権の拡張と宗教政策に反発したネーデルラント諸階級の反乱と戦争のなかで挫かれてしまった。各地の王権と結びついた商業資本ブロックのあいだの攻撃的な競争も始まろうとしていた。

ⅰ 宗教紛争と諸王権の対抗

  16世紀には、ヨーロッパ諸王権(諸領域国家)のあいだの敵対も宗教的色合いを帯びていた。それは、教会組織やその財政と教義などが、いまや国家的統合のための政策や統治体制そしてイデオロギーにかかわっていたからである。ゆえに、対外的な戦争は、国内または域内での宗教的闘争をともなっていた。

  ブラバントを支配するハプスブルク家は、イタリアと教皇庁を支配しようとしてヴァロワ家と闘争していた。そして、「継ぎはぎの帝国」諸地方の抵抗を抑えつけ、またフランスを取り囲んでいる地帯を治めるためにも、行財政の再編と強硬な宗教政策を進めていた。だが、膨大な戦費のためにハプスブルクとヴァロワ両王家の財政は逼迫し、16世紀半ばにともに破綻を迎えてしまった。
  その結果、ハプスブルク王朝はエスパーニャ王国とオーストリア王国に分割された。ネーデルラント――フランデルン、ホラント、フリースラント、ユトレヒトなど――はエスパーニャ王国に属することになった。
  フランスではユグノー戦争による戦乱のなかでヴァロワ家が絶え、王位を継承したブルボン家による王国の再統合が試みられていった。イングランド王室は、ローマ教会やエスパーニャ王権と対立しながら域内の教会再編を進めていた。ドイツでは、多数の小規模な諸領邦国家が分立形成される状況のなかで、農民戦争と領邦君主たちのあいだの戦争が展開されていくが、宗教的敵対がからんだこの戦乱は1世紀におよぶ混乱につながっていった。
  1557年、ハプスブルク王室財政が破産したため、アントウェルペンの繁栄は一時的に断ち切られた。この破産に巻き込まれた南ドイツおよびリヨンの金融商人は没落していった。そして、北西ヨーロッパを中心とする銀・貨幣の循環体系は崩壊した。財政危機がヨーロッパ全体に波及していった。
  だが、この危機は、イタリアをめぐるヴァロワ家とハプスブルク家との戦争にも終結をもたらした。1559年のカトー=カンブレジ講和とともに、北イタリア・フランス・イベリア・バルト海方面の貿易が再開した。貿易の再活発化で、アントウェルペンの毛織物・綴れ織産業の一時的な急上昇が起きた。とはいえ、国家形成――領土と勢力圏――をめぐる諸王権・君侯たちのあいだの散発的な戦役や非公式の戦闘・紛争は各地で続発していた。貿易や金融循環の経路が頻々あちらこちらで断ち切られる状況が続いていた。

  15世紀前半、ブルッヘやヘントなどスヘルデ河以西のフランドル諸都市は、ヨーロッパ市場への毛織物の供給をめぐる特権的地位を守ろうとして、ブルゴーニュ公に働きかけてイングランド産毛織物の輸入禁止の措置をとらせた。そのときイングランドからの毛織物輸入を担っていたハンザ商人には、もはや状況を覆すほどの力はなかった。ハンザやイタリア商人の独占を突き崩しながら、ロンドンの在地商人たちが毛織物貿易に携わるようになっていた。彼らは、スヘルデ河以東のブラバントや北西ドイツに販路を開拓しようとした。


聖母(われらが貴婦人)大聖堂▲

  こうして16世紀半ばには、通貨・信用不安と景気後退で、ヨーロッパ全体としては毛織物の貿易量は減少した。縮小した市場をめぐって競争が激化した。
  ポルトゥガルの商館は1549年にアントウェルペンを離れた。イングランドの冒険商人組合 Merchant Adventurers は景気後退のなかで、毛織物産業のアントウェルペンへの従属を絶ち切って独自の販売市場を確保するため、王権を動かしてアントウェルペンから商館を引き上げ、ハンブルクに毛織物(未仕上げの織布)の指定市場 staple market を移した。それでも、付加価値の高い仕上げ加工を施した高級毛織物の生産地としてのアントウェルペンの地位は揺るがなかった。
  高度な技術や意匠を要する縮絨と捺染、仕上げなど各工程の加工費は、それぞれ原毛生産から生地製織までの加工費の2倍にも相当したのだ。イングランド冒険商人組合は王室にはたらきかけて、国内で低地地方ネーデルランツ商人――アントウェルペン産羊毛繊維製品を扱う――の活動を制限しようとしたことから、双方の通商停止・通商制限政策の応酬が続いた。

  16世紀末から17世紀にかけて、イングランドでは羊毛織布を大衆向け衣類――上着、下着、靴下など――に仕上げた低級製品を生産できるようになった。冒険商人組合は、それを国内や大陸の一般民衆向けに販売しようと試みた。
  廉価の毛織物製品は利潤率(利幅)はきわめて小さかったが、人口が圧倒的に多い庶民向けの消費財であったから大量に売りさばかれ、全体として大きな収益をもたらした。おりしも、イングランドは造船業が発達し、海運業も成長したので、かさばる製品を自国の船舶で大量に安価にヨーロッパ各地に搬送することができるようになっていた。
  毛織物製品――これに穀物輸出が加わる――の大量輸出が、造船業や海運業の成長を促進することにもなった。

  その後、イングランドの冒険商人組合アドヴェンチャラーズは、1564年に組合商館をアントウェルペンからエムデンに移転したが、そこは交易の集結路からはずれていたため、翌年に商館はアントウェルペンに戻った。
  ところが、宗教改革をめぐってイングランド王権はエスパーニャ王権と対立していたが、エスパーニャがネーデルラントを支配することになったことから、さらに敵対が深まった。そこにネーデルラントの反乱が発生し、イングランドは反乱派を支援することになった。1569年には、イングランドの――王室海軍の指揮下にある――私掠船がエスパーニャのフランデルン向けの銀運搬船団を拿捕したため、両王国は交戦状態に入り、ブリテンとアントウェルペンとの貿易はふたたび途絶し、アドヴェンチャラーズ商館はまたもやハンブルクに移転した〔cf. 中沢〕

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

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序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望