第2節 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

この章の節の目次

1 ヨーロッパ貿易の勢力配置

ⅰ アントウェルペンの繁栄

ⅱ ポルトゥガルの隆盛

ⅲ ヨーロッパ世界貿易の構造的変動

ⅳ エスパーニャの栄光

2 アントウェルペンの挫折

ⅰ 宗教紛争と諸王権の対抗

ⅱ エスパーニャ王権の集権化政策

ⅲ ネーデルラントの反乱と戦争

3 間奏曲としてのジェーノヴァの隆盛

3 間奏曲としてのジェーノヴァの隆盛

  1557年のハプスブルク王室財政の破綻と「継ぎはぎ帝国」の解体は、王室財政と癒合していた南ドイツの金融商会――フッガー家やヴェルザー家――の没落とリヨンを中心とする金融市場の崩壊をもたらした。それはまた、ヴァロワ家御用達の金融商人たちの破産を意味した。
  こうして、銀の流入経路(資金循環の経路)が断たれたアントウェルペンは、経済取引の中心としての地位から後退した。このとき、ヨーロッパ世界市場の力関係の中心に空白が生じた。その空隙を埋めたのがジェーノヴァ商人の金融能力だ、とブローデルはいう。ビスケイ湾を経由してネーデルラントに向かうエスパーニャの海上輸送路がイングランド艦船によって遮断されたため、エスパーニャからネーデルラントに向かう貨幣や為替手形はジェーノヴァ商人を経由することになったのだ〔cf. Braudel〕
  このため、ヨーロッパで最大の貨幣資本の流通経路は、ジェーノヴァ商人のブロックを中心にして再編されることになった。ジェーノヴァの金融商人たちは、ヨーロッパ全域で主要な支払いと決済の仲立ちをすることになった。とはいえ、現物の取引きと決済行為は、ジェーノヴァから遠く離れたネーデルラントでおこなわれていた。つまり、16世紀後半から17世紀前葉まで、ヨーロッパ世界経済のダイナミズムに一番大きな影響力をおよぼしていたのは、地理的空間としてのジェーノヴァではなく、ヨーロッパ諸都市で活動するジェーノヴァ人有力商人層の金融能力なのだった。
  都市としてのジェーノヴァは、それぞれの商人グループが、ヨーロッパ各地に出向いて活動する商業部隊を遠方から指揮統制する管理中枢の役割を果たしていた。多くの金融商社の本拠が位置していたからだ。
  だが、遠隔地の市場で獲得した利潤をジェーノヴァ市内に蓄積・再投資するというメカニズムは、きわめて貧弱だった。金融での優越を固めていくのにともなって、ジェーノヴァ人商人は、製造業の育成や現物の商品取引きへの関与の度合いを弱めていった。その帰結はジェーノヴァ域内の相対的な「産業空洞化」だった。
  ブローデルによれば、

ジェーノヴァ資本のうち市内に投下されていたのは半分にすぎなかった。ほかの資本は、地元では効果的な投下先がないままに世界をかけめぐっていた。・・・それでは、他人の家に資本を投下しながら、その安全と果実をどうしたら確保できるのか。それがジェーノヴァの昔からの問題であった〔cf. Braudel〕

  ジェーノヴァ人たちは13、14世紀からヴェネツィアと競争しながら、その武装帆船カラクを駆使して、ブルッヘやイングランドまで乗り出していた。トルコ人の進出で中東の通商拠点を失うようになると、15世紀には、北アフリカ、セビーリャ、リスボンに拠点を築き、それらとネーデルラントとのあいだの通商路を開拓した。カスティーリャのアメリカ大陸との貿易に融資したのも彼らだった。そして16世紀の半ば頃までには、ジェーノヴァ商人たちは、破産したフッガー家やヴェルザー家に代わって、エスパーニャ王フェリーペ2世の政府への融資を引き受けることになった。
  王権への前貸しは、王室をめぐる資金の流れが呼び起こし誘導する膨大な貨幣・信用流通に対して、最優位な立場でアクセスできる特権の獲得でもあった。ジェーノヴァ商人は、王室の顧問官などなって宮廷に入り込むとともに、エスパーニャ経済のあらゆる段階の商取引きに関与するようになった。とりわけ、彼らは、アメリカ大陸とエスパーニャの貿易にともなう銀の流通および貨幣・信用の流通から大きな利益を引き出した。

  ところが1627年、エスパーニャ王室財政は再び破綻した。したたかなジェーノヴァ商人の資本の相当部分は、この破産に引き込まれることを危うく免れたようだが、それにしてもジェーノヴァの金融ネットワークは大きな痛手を受けた。こうして、ジェーノヴァが取り仕切っていたヨーロッパの信用制度がつまづいたので、決済は貴金属地金のやり取りでおこなわれるようになった。
  そして、ネーデルラント向けのエスパーニャの銀は、かつてはエスパーニャ船舶への攻撃を仕掛けていたイングランドの船舶によって運ばれるようになっていた。テューダー家に取って代わったステュアート家の王権は、エスパーニャと仲直りしていたのだ。だが、王家の交替は、イングランドに混乱を呼び起こそうとしていた。
  やがて17世紀中頃には、運搬での中心的役割はネーデルラント連邦の船舶が担うようになった。エスパーニャ王室は、海上輸送を軍事的に敵対するネーデルラントの海運に委託するようになったのだ。現代人には理解しがたいが、国益 national interest やらナショナリズムという政治的・イデオロギー的装置が存在しない時代の現象だった。ともあれ、ジェーノヴァ商人は、セビーリャとカディスを経由したアメリカ大陸産銀の流通経路にコミットし続けた。

  それにしても、エスパーニャ王室財政との直接的関係にはヒビが入ったので、ジェーノヴァ商人はエスパーニャへの奢侈品輸出を組織してエスパーニャ王国の財貨を吸い取るようになった。他方では、ほかの地域の君侯や都市、企業への貸付け先を移すことによって、有利な融資先を探るようになった。17世紀にはヴェネツィアとフランス王権に、18世紀にはオーストリア、バイエルン、スウェーデン、リヨン、トリノへと融資取引きの触手を伸ばした〔cf. Braudel〕
  とはいえ、ジェーノヴァがヨーロッパ金融市場での最優位の座からは滑り落ちていったことは間違いない。ヨーロッパ世界市場の政治的・軍事的環境の変動によってヨーロッパ貿易の中心都市の地位が一時的に空白になった局面で、ジェーノヴァ商業資本は過渡的に中心的な役割を割り振られただけのことだった。ジェーノヴァ金融商人の栄光は、わずか半世紀ほどの短い幕間のできごとだった。
  それにしても、ヨーロッパ世界経済の繁栄の地理的中心が低地地方ネーデルランツにあるという基本構造は動かなかった。世界経済の新たな中心としての役割は、今度はアムステルダムに割り当てられることになった。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

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序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望