補章―3 ヨーロッパの地政学的構造
   ――中世から近代初期

この章の目次

1 ヨーロッパ文明の地理的空間

ⅰ イスラムの席巻とレコンキスタ

ⅱ 地中海の攻防

ⅲ ヨーロッパなるものの形成

2 北西ヨーロッパ――国家形成の特異空間

ⅰ 貿易網の連結

ⅱ 北海沿岸の植民と侯国形成

ⅲ 北西ヨーロッパの特異な連関

3 フランク王国

ⅰ 大王国=帝国の成立

ⅱ 帝国なるものの実態

ⅲ 王国の分解と教会組織

4 西ヨーロッパの地政学

ⅰ 西フランク(ガリア)

ⅱ ゲルマニア

ⅲ ヒスパニア

5 フランス王国の政治的分裂

ⅰ 王権の衰弱と諸侯の対抗

ⅱ フランデルンをめぐる角逐

ⅲ イングランドの幸運

ⅳ フランス諸地方の分立性

ⅶ ハプスブルク王朝との対抗

6 イタリアと地中海

ⅰ ローマ帝国の遺制

ⅱ ヨーロッパの地中海貿易

ⅲ 有力諸王権の対抗

7 宗教改革と権力闘争

8 ヨーロッパ世界経済の出現

ⅰ 格差と敵対の増幅

ⅱ 帝国という幻想

ⅲ 世界経済の地政学

ⅱ 帝国なるものの実態

  この時代、行財政装置の欠如によって当然のことながら広範にわたって権威の日常的な伝達ができない王権は、教会との連携によって、フランク王国とローマ教会という2つの秩序を癒合させ、こうして諸地方の統治者・有力者に王国秩序への帰属意識を持続させようとしたようだ。
  しかし、それも多分に観念的な秩序にすぎなかった。王国あるいは帝国というものが、実体的な制度をともなわず、むしろ聖俗の有力諸侯の意識や行動を制約する観念であればこそ、王や皇帝にとってはローマ教会組織と結びつくこと、あるいはさらに進んで、教皇の祝福・後援を受けてローマなどの都市や聖地での戴冠・祝宴・行進などの儀式を挙行し誇示することが重要だった。
  また、多くの君侯(公や伯)たちは、支配地の内部に配置された大司教や司教に伯以上の格を与えて、彼らを有力な宮廷家臣として聖職者碌を授けて召し抱えた。識字階級としての高位聖職者(聖界領主)は、ローマ法や行財政に関する知識をもち、さらに有能な部下や従者を抱えていたので、立法や行財政活動など統治をめぐる文書作成や管理で大きな役割を果たした。
  しかし、それはまた、教会役員(高位聖職者)が一方で教皇庁の権威に臣従する聖職者でありながら、他方で近隣の有力君侯の家臣であるという、二面的な立場に置かれることを意味した。この問題は、のちに「叙任権紛争」で教会組織の運営をめぐって教皇庁と各地の君主権のいずれが優越するか大きな争点となるはずだった。
  ゆえにまた、王や君侯領主たちは実体としての統治装置を組織することには関心を向けず――知識や経験を持たないがゆえに――、むしろ儀式や象徴的な行為をおこなうことに関心を向けていたのだ。彼らは、実体的な行財政装置をつくり上げることを意識することはなかった。そもそも当時の交通や通信をめぐるテクノロジーの限界が、広域にわたる行財政装置の組織化というものを人びとの想像から排除していたのだ。

  各地方の有力者たちは、自分たちに影響をおよぼす上級権力、たとえば王権あるいは教会あるいは有力公伯のいずれが強まるかによって立場を使い分けた。王権が強くなり、王が巡行してきたり、あるいは有力家臣を差し向けたりすれば、彼らは支配地に対する王権の上級支配権を認めて臣従の意を示し、自らはその軍事的防衛や経営を直接担う官職を獲得しようとした。あるいは何がしかの上級課税権を認めるのと引き換えに、所領内の固有の特権を維持した。
  そして、ローマ教会の影響力が強まれば、教会に領地を名目的に寄進する形をとって同様な行動をとった。王権が衰退し近隣の公伯が強大化すれば、やはり名目上、領地の上級授封権を認めてその家臣や同盟者におさまろうとした。あるいは状況が許せば、彼らは自らの権力を強化し、あるいは有力家門との通婚政策などによって周囲の領主所領への支配権や宗主権を獲得し、君侯(公伯)への上昇を試みた。自分の家門の子弟を聖職者のポストに押し込み、教会組織との結びつきを画策するのは、ごく当たり前のことだった。

ⅲ 王国の分解と教会組織

  さて、広大なフランク王国=帝国は、名目上の統治のために数百の単位管区=伯領に区分され、フランク王権と名目上の臣従関係を結んだ族長諸侯が――公位や伯位を与えられ――統治することになった。このうち、公(公爵)は各地方で部族連合を指揮できるほどの軍事的な影響力をもつ有力者で、事実上は各地の侯国の王ともいうべき層だった。これに対し、伯(伯爵)は王の代官として地方に叙任または派遣されて、伯領を統治しながら、公を牽制する役割を期待されていた。

中世の主要な司教座都市

  多くの地方では在地の有力者=部族長が伯に叙任されたが、重要な位置づけを与えられた地方には王族や王と親近な部族長たちが有力な公や伯として派遣・叙任された。だが、やがて地方での足場を固めるにしたがって、彼らは在地の有力者として王権から自立していった。王権の衰弱のなかで、9世紀半ばに王国は西フランク、ロタール王国(北ブルグント)、南ブルグントとイタリア、東フランク(ゲルマニア)に分離した。各地での公伯のあいだの名目上の勢力圏争いの一方で、伯領や公領がさらに小さな統治単位に分解していった。

  一方、ローマ教会のネットワークに組み込まれた各地方の教会や修道院も――とりわけ東部辺境ゲルマニアでは――本来は地方的な文脈のなかで建設された場合が多かった。したがって、中世的秩序のなかでは多かれ少なかれ土着化し、在地の領主貴族として独自の利害によって動くことも多かった。周囲の状況や指導的聖職者の個性や利害によって、教皇庁の統制を容易に受け入れることもあれば、反旗を翻すこともあった。
  遠距離貿易システムが出現するまでは、教皇庁への教会諸税の上納制度も整備されることはなく、広域的な統制手段がまったく欠けていたのだ。各地方で領主化していく豪族・有力者たちは、キリスト教の影響を受けながら土着の信仰にもとづいて主要な集落に寺院や聖堂伽藍を建設した。それは領主が、自らの所領資産として支配できる宗教施設だったが、そこにも、やがて聖職者の派遣などをつうじてローマ教会の統制が緩やかにかつ名目的におよぶようになっていった。領主たちは司祭や助祭、説教師などの叙任権を確保するのと引き換えに、彼らに所領収入から聖職碌を配分した。
  しかし、ラインラントやフランケンなどの有力教会(聖界貴族身分)は、寺院・聖堂のもともとの創設者である近隣の君侯や有力領主から、臣従や同盟関係と引き換えに、領主高権を認められていたから、信仰や教義のうえでは形式的にローマ教会の統制を受け入れながらも、教皇庁から独立して教会運営や教会所領の経営にあたるようになっていった。
  君侯・領主たちからすると、自分たちの所領支配の強化のために、宗教的権威を活用しながらも、教皇庁=ローマ教会の統制から独立した教会組織をつくりあげようとしたようだ。このような出自をもつ聖界の有力領主貴族には、マインツ大司教、トゥリーア大司教、ケルン大司教などがいた。このほかにも、独自の所領をもつ教会や修道院は、教会税や賦課金を教皇庁に納めながらも、多かれ少なかれ政治的・軍事的に独立した聖界領主として動いていた。

  社会史的な文脈で見ると、各地での農業や商工業の発達にともなって、また街道や河川交通が発達し、兵器生産や城砦建築が各地で展開するようになるのにともなって、単なる観念にすぎない王国や帝国の権威は崩壊し、城砦などの物質的な装備、支配装置を基盤として権力が再組織され、局地的規模で農村や都市への実効的統治の仕組みができあがっていった。それを基盤として総体としての政治的・軍事的秩序が組み直されていくことになった。
  こうして、9世紀末から13世紀にかけて、東西フランクでは名目上の王国の分断が進行して、300あまりの伯領(王国の名目上の統治単位)がさらに分解し、城砦を軍事的拠点として地方を支配する多数の領主たちが局地的な統治圏域――その数は総計で1000以上になると推計される――を形成するようになった。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

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序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望