補章―3 ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初期
この章の目次
以上のような趨勢の基礎=背景には、ヨーロッパ全域が1つの社会的分業体系のなかに編合されていく過程、つまり世界経済の形成への動きが横たわっていた。
とはいえこの時代には、ヨーロッパの遠距離貿易ないし世界貿易のネットワークは、広大な地理的空間に散在する都市や交易拠点を結ぶ「線状の経路」の集合でしかなかった。商業資本の力が面状に作用していたのは、諸都市と主要交易路、そしてその周囲だった。
この経路からはずれた多くの地方は、商品交換や商業のダイナミズムから取り残されていた。商業は、農村部では所領や農場の経営者を商品交換や利潤獲得の運動のなかに巻き込んだけれども、所領内の階級関係や生産過程について直接与える影響はまだきわめて小さかった。商品交換に馴染み始めた農民たちは、せいぜい近隣の小都市との関係を意識するだけだった。
しかしながら、都市や商業資本がこの線状の経路をつうじて王権や有力領主階層など、既存の権力秩序の支配層におよぼす力は圧倒的に強かった。彼らにとっては、権力闘争のなかで生き残るためには、商業利潤の分配ないし再分配に参加するしか道は残されていなかった。社会システムの構造転換は、社会の基層からではなく上層=上部構造から始まるのだ。
ヨーロッパの権力闘争と戦乱が激しくなっていった原因の1つは、ヨーロッパが単一の貿易圏に統合され、諸地方のあいだの社会的分業ができあがり、経済的な序列と格差が固定化しいっそう拡大するメカニズムがはたらき始めたことだった。各地の商業資本グループが競争しながら貿易を組織化し、諸地方のあいだの格差を利用して利潤を獲得し、富と権力を拡張しようとしていた。
この経済的競争はきわめて暴力に満ちた過程で、諸都市や商人団体が自ら武装し艦隊(船団)や軍を組織・指揮して争っていた。闘争の強度と範囲は飛躍的に大きくなり、都市と商人団体だけの権力では担いきれなくなった。結局、都市団体自体が結集して国家をつくりあげたところ(ネーデルラントのユトレヒト同盟)と有力王権と結びついたグループ(イングランド)だけが勝ち残った。フランスは王権国家のとてつもない強大さで、かろうじて通商戦争の舞台に残ることができた。
国家の形成にいたらなかったエスパーニャでは王権が衰弱し、連合していた諸王国は分裂していく。分裂を克服できなかったドイツとイタリアは、強国の覇権争奪の対象または手段になってしまった。
ところで、「大航海時代」に名目上、帝国を形成したエスパーニャ王国に関して、歴史認識では「日が沈むことのない帝国」などというキャッチコピーに欺かれてはならない。この時代の「帝国」とは分裂や分断の言い換えにすぎない。
ヨーロッパ世界経済には大西洋とアメリカ大陸も統合された。ポルトガル王国とエスパーニャ王国の航路開拓と冒険的侵略が、大西洋とアメリカ大陸へのヨーロッパの浸透・拡張の糸口となった。両王権は、アメリカへの侵略と収奪、植民などの活動を統制しようとしたが、こうした活動を直接担ったのはあぶれ者の貴族や下級騎士たちで、彼らの掠奪や原住民の支配は容赦のない苛烈なものだったという。つまり、王室の統制はさほどに有効ではなかったわけだ。
それにしても、16世紀末にポルトガル王国はエスパーニャに併合され、広大なアメリカ大陸植民地・属領はハプスブルク王朝に帰することになった。だがハプスブルク王権は、王国や公国、伯領、植民地領・属領など、多数の分立的な政治体を別個に統治し、名目的にそれらを寄せ集めたにすぎない。宮廷は、王室と結びついた域内商業資本(製造業)を育てることもできなければ、域内を統合する政策も打ち出さなかった。大西洋貿易での輸出商品の調達は、域外商人や域外製造業に依存していた。
つまりは、王室財政の基盤として域内経済を育成することができなかった。にもかかわらず、他方で、いたるところで膨大な出費を招く戦争を繰り広げていた。ついに16世紀後半には、ハプスブルク王朝はエスパーニャ王国とオーストリア王国に分裂し、17世紀をつうじて地位を後退させていった。
実際にハプスブルク王権がやったことといえば、ヨーロッパ全域での戦役をともなう「帝国政策」で、それは手に余る広大な領地を周囲の攻撃から守るための消耗戦でしかなかった。武器や食料の調達とその輸送にかかる費用は、ほとんどエスパーニャ域外の商人たちに吸い取られていた。王室や貴族が豪勢に消費した奢侈品も域外商人たちが供給していた。大西洋のかなたからやってきた財貨、広大な領地から収取した経済的剰余は、エスパーニャ域内には蓄積されず、ジェーノヴァやフィレンツェの商人たち、さらに軍事的に敵対するネーデルラントやイングランドの商人たちへの支払いに消えていった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望