補章―3 ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初期
この章の目次
ところで、イングランド王家と貴族たちは、フランデルンとの貿易、ことに羊毛貿易をめぐる課税や賦課金から多大な収入を得ていた。そして、ロンドンに商館を置くハンザ商人団体――フランデルンにおける彼らの遠距離貿易の拠点はブリュージュやガンだった――からも王室はかなりの財政援助や収入を得ていた。そして、フランデルンを中心とする貿易は、いまや沿岸航路をつうじてブルターニュ、ギュイエンヌ、ガスコーニュ地方、さらにはイベリア北部にまで広がっていた。
プランタジネット王権にとって、フランデルンからフランス西部にかけての地帯への影響力を確保することは、いまや抜きさしならない利害をもつことになった。こうして、プランタジネット家は、大陸では最大最強の君侯として、フランス王位に強い関心を示すことになった。
他方、フランデルンの支配をめぐっては、カペー家王権はさらにブルゴーニュ公とも角逐していた。そのブルゴーニュ公もまた領域支配を拡大しながら、あるいは拡大した領地の内部で集権化を進め課税権を強化するために、ブルゴーニュ、スイス、ルクセンブルクの地方勢力と闘争していた。
やがてカペー王朝は断絶し、15世紀の中頃から末葉にかけて、諸侯・領主層と新たな同盟を結んだヴァロワ家のフランス王権が、プランタジネット(イングランド王権)派を駆逐していった。このような戦局の転換にとって大きな要因となったのは軍事力の構造変動であって、フランス王権派同盟が、騎士の役割を従属的な位置に押し下げ、火砲と歩兵の組み合わせにもとづく新たな軍事力と戦法を導入したことだった。
強力な軍事力と有力諸侯の同盟を基礎とするヴァロワ王朝は、危機から急速に回復するフランス各地に影響力を拡大し、王政の再編と集権化を進めることになった。この軍事力の編成形態の変化は、また王権(有力君侯)と地方貴族との力関係の転換をも意味していた。
とはいえ、フランスの政治的分裂はなかなか克服できなかった。
だが、王軍が大陸からの撤退したイングランドにとっては、長期的に見ると、域内で王政の転換と集権化を進めるうえでプラスになったようだ。
フランスの領地を失ったイングランド王権は、しかし結果的には、百年戦争後に王権の再編を進めて小ぢんまりとしたブリテンという地理的空間のなかで領域国家をいち早くつくりあげていくことができた。あまりに広大な地理的空間の統治にかかわることは、当時の君侯による領域国家形成には負担が重すぎたから、ブリテンへの領地の収縮はむしろ幸運だった。
広大すぎる領地を封建法の観念にしたがって統治するという行動スタイルから抜け出し、辺境の地イングランドに領域国家を打ち立て、ブリテン島内部における将来の国民的統合への道を選ぶしかなかったからだ。海洋という自然の要害で大陸から隔てられているイングランドでは、フランスのように強大な王権装置を形成しなくても、比較的容易に君主制領域国家をつくりだすことができた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望