オデッサ・ファイル 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
物語の背景
兆   候
エジプト軍のロケット開発
イスラエルの焦り
暗   闘
秘密組織オデッサ
ペーター・ミューラー
SS大尉ロシュマン
戦後ドイツ社会のタブー
オデッサの隠然たる力
師団式典への侵入
探索と追跡
ヴィーゼンタール
ロシュマンとオデッサ
ミサイル誘導装置の開発計画
モ サ ド
オデッサへの潜入
オデッサの監視網
対   決
オデッサ会員のファイル
ブレーメンでの闘争
余   談
カナーリス提督について
「ユダヤ人問題」について

エジプト軍のロケット開発

  その前の年、1962年7月21日、エジプト軍は4機のロケットミサイルの発射実験に成功した。射程距離565kmのアルカーヒル(征服号)2機、そして射程距離280kmのアルザフィール(勝利号)2機が、中東の空を劈いて飛び立った。
  大統領ナセルは、「ベイルート以南の地域はどこでも破壊できる」と豪語した。世界は震撼し、西側陣営は驚愕し、とりわけイスラエルは脅威におののいた。
  ロケットミサイルの技術開発に協力したのはどこか。西側への対抗を強めるソ連か。ソ連は数年前から、エジプトとの強力提携を拡大し、ナイルの中流域におけるアスワンハイダム建設で大規模な資金と技術、人員を提供していた。経済協力に加えて、軍事的支援も強化していた。
  ソ連が提供した大量の戦車T-34/85はエジプト陸軍の制式戦車となっていた。この型の戦車は、よりのちに開発されたT-54/55やT-62よりも、被弾性能や防御力ですぐれていた。

  だが、ソ連は中東・地中海地域での軍事力バランスを大きく変える動きを抑制していた。カリブ海のキューバへの梃入れに乗り出し、ついにミサイル基地建設をめぐって、アメリカと鋭い対決・緊張関係に入り込もうとしていて、中東でのロケットミサイル開発にまで手を伸ばす余裕はなかった。

イスラエルの焦り

  イスラエルの情報機関、モサドの調査によれば、エジプトのロケットミサイル開発を援助していたのはドイツ人科学者・技術者だった。ナチス政権時代、ヒトラーから王侯並みのエリート待遇を受けてロケットやジェット推進(航空宇宙工学)の研究開発に携わっていた科学者たちが、――戦争直後の追及を逃れたのち――いまやエジプトに雇われて、イスラエルを射程に収めるロケットミサイルの開発に取り組んでいたのだ。
  しかも、このロケットミサイルの弾頭に搭載する大量破壊兵器( mass-distruction weapon )として、生物兵器、毒ガス、さらには核兵器の研究にまで手を伸ばしていた。イスラエルにとしては、国家存亡の危機に直面していた。
  イスラエル政府は、ドイツ連邦政府に対して、危険な研究に協力しているドイツ国籍の科学者・技術者(企業)のエジプトから退去させるよう強く要求した。だが、ボンの政府は、「民間人の海外活動について政府は規制できない」という回答を返しただけだった。ドイツ政府自身がすっかり萎縮していたようだ。政権内での批判や懐疑は表立つことはなかったという。

  当時、西ドイツではアデナウアー政権が統治していた。おそろしく右寄りの政権――左派からアデナウアー・ファシズムと呼ばれた――で、政府や財界の要路には、戦前から影響力をもっていた頑迷な保守派や右翼が強い影響力をおよぼしていたと見られる。
  当然、そのなかには、旧ナチス党員(幹部)と結びつき、かつての地位や立場を隠して、政財官界で公然・隠然の影響力を行使していた者もあまたいたようだ。
  アメリカ政府は、深化する冷戦のなかで、ドイツの右傾化を静観していた――むしろ現地駐留の軍やCIAをつうじて援助していた節もある。なにしろ冷戦構造下では、敵対陣営への対策だという理由で、たいていの策謀が許容されていたのだ。

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