式典の当日、ペーターはその会場に入り込んだ。ドイツの各地によく見られる、巨大なビアホールが会場だった。 集会はすでに始まっていた。集まったのは、今でも存命している「ジークフリート師団」のメンバーだった男たちだった。およそ400人くらいで、大半は下士官以上の階級だった者たちだ。
関係者以外は入室禁止だったが、ペーターはカメラを持って堂々と入り込んだ。
ホールのステイジには、旧第三帝国の軍幹部たち、そしてオデッサの面々が来賓としてふんぞり返っていた。そのなかには、あの検事総長もいた。ホールのテイブルには、一般参加者が並んで陶製のビールグラスを手にしていた。おそらく敗戦までの「帝国の栄光」や破竹の勢いでヨーロッパを席巻した頃の「手柄話」にでも花を咲かせていたに違いない。
やがて、かつてジークフリート師団の師団長(少将)だったグライファーが、酒の勢いを借りてか、あるいは同類が集まったことで興奮してか、「ドイツの栄光は不滅だとか、栄光ある地位を復活させよう!」なぞという演説を始めた。会場は盛り上がっていく。
懲りない連中だ。彼らは敗戦までは、軍のなかで地位や特権を得て、何らかの利益や名誉を享受していたのだろう。ナチスの軍事的支配や戦争に否応なく(強制的に)協力させられた過去に慙愧を感じ自己批判をした人びとは、こんなナチス残党が主催する集会には参加しない。
師団の兵員、1万6千名のうち、生存者が数分の1だとしても、この宴会への参加者はその一握りにすぎない。
とはいえ、集まった老人たちは、しょせん栄光や手柄を懐かしんで、互いに傷を舐め合っているにすぎないとも見える。今では没落してしまった戦時成り金の懐旧趣味とでも言おうか・・・
そんなシーンのなかで、壇上でふんぞり返っているお歴々に向かって、ペーターはカメラを向けフラッシュを焚いてシャッターを切った。壇上の幹部たちは写真に捕られたと知って驚愕した。この会場で威張ってはいても、堂々と世間に顔向けできる立場ではないのだ。ナチスシンパの集まりであることが公になれば、各方面から追及や非難を浴びることになる。内輪の集まりでの権威の誇示は、そうした後ろめたさや強迫観念の裏返しでしかない。
ただちに彼らは、手を回して強面連中を動かした。彼らはペーターの周りを取り囲んで、会場から追い出し、殴る蹴るの暴行を加えた。もうこれ以上つきまとうなという脅しだった。
オデッサの実行部隊や暴力組織を指揮しているのは、リヒャルト・グリュックス将軍で、外見は知的で穏やかな紳士で、貴族的な雰囲気さえ漂わせていた。
その夜、ペーターは傷だらけになってアパートに帰った。部屋では、同棲している女性、ジギー(ジークリンデとかいう女性名の短縮愛称)がペーターを迎えた。そして「どうして、そんなにむきになってまで調査を続けるのか。もうやめてよ」と懇願した。
だが、ペーターは「これは、やらなければならない、ぼくの義務なんだ」と答えた。
タウバーの手記に読みふけって以来、ペーターの態度はすっかり変わっていた。それ以前、地道な調査・取材を続けるよりも、一発特ダネを狙う行動スタイルだった。社会的な視点よりも、人々の耳目を集める話題に飛びつくタイプだった。だが、いまや、身の危険や労苦も顧みずに、ナチスの戦争犯罪人の消息を追い求めているのだ。