オデッサ・ファイル 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
物語の背景
兆   候
エジプト軍のロケット開発
イスラエルの焦り
暗   闘
秘密組織オデッサ
ペーター・ミューラー
SS大尉ロシュマン
戦後ドイツ社会のタブー
オデッサの隠然たる力
師団式典への侵入
探索と追跡
ヴィーゼンタール
ロシュマンとオデッサ
ミサイル誘導装置の開発計画
モ サ ド
オデッサへの潜入
オデッサの監視網
対   決
オデッサ会員のファイル
ブレーメンでの闘争
余   談
カナーリス提督について
「ユダヤ人問題」について

余   談

  この作品の物語には、いくつもの問題の文脈が交錯しているが、気になる問題について、手持ちの情報でわかるかぎりで、記述してみる。

カナーリス提督について

  ナチス政権転覆クーデタ計画の首謀者とされるヴィルヘルム・フランツ・カナーリスは、1887年1月、ヴェストファーレン州ドルトムント近郊に生まれた。カナーリスという家系名からして、古くはギリシア系の祖先をもつ家系と見られる。少なくとも、本人はそう信じていた。
  1905年、カナーリスは17歳でドイツ帝国海軍に入った。
  第1次世界戦争後も海軍に勤務し続けた。そして、有能な軍人として海軍の階級を上昇していった。海軍のエリートの常として、海軍先進国のブリテンとは早くから強い結びつきをもっていた。思想的には、保守派の自由主義者だったようだ。
  ところが、ヴァイマール共和国時代には、海軍の幹部として、ドイツ海軍の強化や組織再編で重要な役割を演じたが、それは、おりしもナチスの台頭、政治権力獲得の過程と重なったために、結果的に、カナ―リス自身の意図都へ逆に、ナチスの権力基盤の拡張に手を貸してしまったかもしれない。
  彼自身は、ナチス党とは一貫して距離を置いていた。
  しかし皮肉なことに、優秀な軍人であったため、1933年、ヒトラー政権によって、海軍籍を保有したまま防諜局の長官に指名されてしまった。そして、提督――1つ以上の海軍管区の司令官で艦隊司令官の資格をもつ――の地位を与えられた。あるいは、ナチスが支配する参謀本部の意向を海軍の前線に押し通すために、人望厚い有能なカナ―リスを海軍の指揮系統から外すためだったかもしれない。
  ナチスの権力拡張には早くから危惧を抱いていたが、積極的にナチスの政策に反対する動きはとらなかった。けれども、1930年代末には、水面下でブリテン軍情報部との密接な連絡ルートを持っていたと思われる。
  ソ連の共産党支配や社会主義には強い反感をもっていたが、ドイツ軍のポーランド侵略ののち、ナチスの命令で住民虐殺や弾圧が繰り広げられたのを見て、ドイツでの政変への道を探り始めた。そして、ドイツ軍の作戦情報を、ブリテン軍情報部に伝達するとともに、ドイツの同盟国エスパーニャに幾度か旅行し、そのつどブリテン軍情報部と接触を持ったという。

  1943年ごろからは、ナチスに反感や嫌悪感を持つドイツ国防軍の幹部・下僚のなかから信頼できる仲間を形成して、ナチスの政権を覆すクーデタを企図していた。


  彼の動向は、幾人かのナチスの幹部の疑惑を招いた。SS指導者のマイリンヒ・ヒンムラーは早くから、カナーリスの身辺を嗅ぎまわっていた。
  「44年7月20日のクーデタ計画」が発覚すると、カナーリスは関与を疑われて防諜局長官を解任された。そして、ヒンムラーは、カナーリスのクーデタ計画への首謀者としての関与の証拠をつかみ、彼を逮捕した。けれども、ヒンムラーはカナーリスを直接指揮下で身の安全を保証しながら拘束し続けた。
  というのは、ドイツ軍の後退、没落、壊滅への流れは避けられないと読んだヒンムラーは、ナチス党の事実上の「解体状況」のなかで、自らドイツの代表として(ヒトラーを差し置いて)連合軍との講和交渉に臨もうとしていたからだ。カナーリスは、いわば人質、交渉駆け引きの材料として利用していたのだ。
  けれども、連合国側の意向は、ドイツの壊滅が明白となったこの段階で、ナチス幹部との講和交渉を拒否するものだった。
  そこで、ヒトラーの提案――戦争末期には、もはやヒトラーはナチス党の内部でも絶対的な命令権を行使できなかったから――にしたがって、カナーリスを軍事法廷で裁き、断罪する手続きをとることにした。
  軍事裁判でカナーリスは、クーデタとヒトラー暗殺計画の首謀者の1人として有罪となった。そして、フロッセンブルク強制収容所に送られた。
  1955年4月、彼は処刑されてしまった。ベルリン陥落まで、あと1週間もないときだった。

  ドイツ国防軍―― Wehrmacht :本来は「防衛軍」であって、慣用的な「国防軍」という訳では不正確――の有能・優秀な幹部たちの多くは、ナチスの無謀な戦争に手を貸し、あるいは前線で指揮し、そしてヒトラーの支離滅裂な方針によって作戦の足を引っ張られ、敗北したり、解任されたりして、失意のうちに自滅し、あるいはナチスの方針に抵抗して処刑・処罰されていった。
  結局、国家 Staat と国民 Nation を守るのではなく、その破滅への道に手を貸した。総体として無謀な指導者に従属した軍は、結局のところ、潔さや自立心、矜持を示すこともない、ただの「政治の道具」「権力への隷従者」でしかなかった。レジームとしての「第三帝国」は、人間の尊厳や生存を脅かし、破壊するモンスターだった。

  ではありながら、さりながら、カナーリス提督はナチスの暴虐をできるかぎり食い止めようとして、自分の地位や権限のおよぶかぎりでユダヤ人の救出・救済に努めていた。彼の名誉のために、そのことは付言しておかなければならない。
  逮捕されて強制収容所送りになるはずのユダヤ人たち、ゲシュタポの追及の手が襲いかかろうとしていたユダヤ人たちを何十人も救い出した。それらの人びとが、防諜局の協力者やエイジェント(スパイ)であるとして、保護したり、国外への旅行許可証を発給したりして、亡命や移住を援助したのだ。
  小さな「シンドラー」は、ドイツ社会のあちこちにいたのだ。

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