ペーター・ミューラーは、この問題をマスメディアで取り上げてもらおうとして、面識のある雑誌の編集長と面会した。だが、編集長からは、ナチスの戦争犯罪追及の問題はできるだけ扱いたくないと断られた。
敗戦から20年たつかたたない1960年代には、戦時下から生き延びたあまりにも多くのドイツ市民たちが、ナチス体制下でこの問題に多かれ少なかれかかわった経験をもち、あるいは自己保身のためにナチスの行動を黙認してしまったという罪悪感を抱いていたからだ。
そして、1943年前半ごろまでは、ナチスや軍がユダヤ人や外国から収奪してきた財貨は国内の政府財政資金や資本となって、その分ドイツ人たちは手厚く分配――より高い給与所得、公的給付などという形で――を受けていたという経験もあった。
強い疼痛が残る古傷には触れたくないというのが本音だったようだ。
そして、保守的なアデナウアー政権のもとで、過去の戦争やナチズムには蓋をして、とにかく復興と経済成長をめざすという雰囲気が強まっていた。「具体的なナチズム批判」の問題は、左派系の新聞や雑誌を除けば、タブーになっていた。
ペーターは、この問題の追及を止めるように母からも懇願された。ナチスの政権運営や侵略を黙認・受容してしまったという苦い思い、戦争で夫を失った悲しみ、連合軍による猛爆撃の下を逃げ回った恐ろしい記憶、そういったものが絡み合っているようだ。そして、それは多くのドイツ市民に共通の感情だった。
だが、そうした情緒的雰囲気をしたたかに利用して、ナチス時代に指導的な役割と特権を享受していた輩たちが、ふたたび影響力を獲得・拡大してしてきているのもまた事実だった。
とはいっても、私が見るに、それは安易に「ナチズムの復活」と呼べるような事態ではない。
それは国民国家という政治的・軍事的組織を不可避的に随伴する資本主義の本来的な傾向――支配秩序を再生産しようとする政治的側面での傾向――というしかない。支配階級や統治階級は権力保持や秩序維持のために、出自が後ろ暗い旧弊なエリート――この世代が生存する限りで――をも取り込もうとするのだ。
ペーターは、すぐに取材・調査を開始した。若さゆえの正義感とメディアで名を売ろうという野心が相半ばするためかと思われるが、それにしては強い情熱に突き動かされているようだ。
最初に訪れたのは、ハンブルク特別州検察庁で、検事総長にエドゥアールト・ロシュマンに関する司直による捜査の状況を質問するためだった。検事総長室に行って、面会を求めた。待っているあいだに、ロシュマンに関する捜査記録の閲覧をしようとして、女性職員に資料ファイルを請求した。
が、それを遮るように検事総長自身が現れた。そして、総長はペーターを自室に招き入れた。けれども、ペーターの質問には答えようとせず、威圧的な態度でペーターの身分証明書の提示を求めた。そして、身分証明書を受け取ると、ペーターの職業や住所をメモした。
そのとき、検事総長宛の電話が来た。相手は「将軍」で、毎年恒例の「式典(集会)」に参加するかどうかの返答を求めているらしかった。総長の机の上には、彼が戦争中属していた師団の記念式典の案内状が置いてあった。ペーターはそれを盗み見た。
結局、ペーターは何の情報も得られずに、体よく追い払われた。
この検事総長も、ナチス時代の軍部の関係者で、オデッサと何らかの結びつきがあるらしい。オデッサは、司法関係の国家装置の中枢までおよぶ人脈と影響力を確保しているらしい。