ヴィーゼンタールとの面談を終えて、ペーターはホテルに戻った。すると、フェルディナント・シュトルツ博士と名乗る人物が待っていて、話があるという。ペーターはフロント脇のロビーのテイブルに席を移して、話を聞くことにした。シュトルツは、身の安全を考えてロシュマンの探索をやめるよう警告した。オデッサの手先の威嚇だった。ペーターは脅しを突っぱねた。
翌朝、ペーターは北に向かって車を走らせた。疾駆するベンツのスポ-ツクーペを1台のルノーが尾行していた。
何時間か車で走り続けたペーターは、道路沿いのドライヴイン・レストランで休憩と食事をとった。そして、ふたたびハンドルを握るためにレストランを出て車に向かった。ベンツのドアを開けようとしたとき、ペーターは、ルノーで追尾してきた男たちに取り囲まれ押さえつけられてしまった。そのままルノーに押し込められたまま、男たちの隠れ家に連行された。
ペーターは男たちによる尋問を受けた。なぜロシュマンの行方を探索し、オデッサを調べているのか、と。
彼らは、イスラエルの諜報機関モサドのフィールドエイジェントだった。彼らはイスラエル政府の命令を受けて、ドイツ国内で進められている、ナセルのロケットミサイル誘導装置開発計画を探り、その破壊を狙っていた。そのため、モサドのティームはオデッサの組織と活動を探り出し、ようやくキーフェルにまで捜索の道筋ををたどってきたのだ。その探索の網のなかに、ペーター・ミューラーが飛び込んできた。
彼らは、ペーターが不退転の決意をもってロシュマンを追跡していることを確認した。そこで、オデッサのネットワークによって防護されているロシュマンを追い詰めるためには、オデッサ組織のなかに潜入して捜査する必要があるということで、ペーターに潜入者になるよう説得した。 ペーターは応諾した。
その少し前、ブレーメン総合病院で1人の男が死亡した。その名は、ロルフ・ギュンター・コルプ。戦争中はナチス党員で、SSの軍曹だった。
コルプの死体が病院から搬出されたのち、患者記録管理室を1人の医師が訪れた。ギュンター・コルプの診療記録の閲覧を申し込んだ。彼は、部屋の片隅の閲覧用机の上で借り出した診療記録ファイルを広げると、「死亡による治療終了」という記録を抜き取り、その代わりに「胃潰瘍が完治して退院」という記録を挿入した。そして、記録を係に戻した。
モサドはピーターを、元SS軍曹のギュンター・コルブに扮装させようとした。そのために、ギュンターの生前の記録や戦争中の経歴を記憶させ、さらに、にわか仕立てだが、潜入捜査のフィールドエイジェントしての特別の訓練を施した。
銃やそのほかの武器の使い方、射撃技術、格闘技を訓練した。
ギュンター・コルプの経歴はこうだった。
戦争末期、SSの第22大隊の軍曹として、フロッセンブルク収容所に配属されていた。そこにはヒトラー暗殺計画の首謀者の1人とされたカナーリス提督が収容され、処刑された。コルプは銃殺体による処刑に立会い、収容されているユダヤ人たちにカナーリスの死体の焼却を命じた。
ところが、胃潰瘍の診察を受けたブレーメン病院のユダヤ人医師、ハルトシュタインは、当時収容所の虜囚だったことから、コルプの過去が発覚して逃亡を余儀なくされたというのだ。
コルプに扮したペーターは、アンティーク兵器を販売店を介して、オデッサの逃亡支援組織に潜入していった。その責任者は、フランツ・バイアーだった。
ペーターは、ミュンヘンにあるフランツ・バイアーの邸宅を訪れて、詳細な尋問を受けたのち、旧ナチスSS隊員として、秘密の逃亡ルートに乗せられることになった。フランツ・バイアーはペーターに、まずバイロイトの印刷所に行って、新たな身分証明書とパスポートを手に入れるよう指示した。ペーターはミュンヘン駅から列車でバイロイトに向かうことにした。