続いて、軍事的指導者としてのヒトラー欠陥とドイツの問題を追究してみます。
その場合、彼が1国の最高指導者であったことからして――たんに1軍人であった者と比べて――より厳しい判断がくだされるのは仕方がないでしょう。
なにしろ、彼は1国民全体を破滅の淵に追い込む結果=災厄をもたらしたのですから。
そして、ヒトラーのような「トンデモ」政治家を最高指導者にまつりあげて陶酔していたドイツ軍の幹部層、そしてドイツの産業界、とりわけ軍需産業のありようもまた、大きな歪みというか構造的な弱点を抱え込んでいたといえるでしょう。
その意味では、「ヒトラー現象」はドイツ社会全体の問題でもあるでしょう。
社会の過剰な軍事化によって、軍産複合体の最初の誕生は、1930年代のドイツかもしれません。
ところで、戦争開始から2年間のナチス権力の膨張、軍事的拡張の「成功」をもって、ヒトラーを軍略の「天才」と評価する立場もあります。が、それは科学としての戦史・軍事学あるいは地政学の素養が乏しい者の判断でしかありません。
あの時点では、ヒトラー以外の者がドイツの指導者になって戦争を指揮しても、おそらく程度の差はあれ、だいたい同じような経過・結果になっていただろうと思います。
それは、すでに述べた電撃戦としての戦争の性格から理解できるでしょう。
ヨーロッパの国家間関係の混乱と諸国家の無防備、準備欠如を衝くかぎりでは、緒戦での優位の確保はいずれにしろ可能だったはずです。
当時の世界秩序や国際関係をあくまで前提すれば、軍事的指導者としての資質の高さは、結局のところ、
その人物が最高の軍事的・政治的指導者である全期間にわたって、その国家ないし政治体の地位を少なくとも維持し、できれば上昇させる経過・結果をもたらすかどうか
で判断されるはずです。
破滅と隣り合わせの無謀な攻勢・膨張は、愚か者の仕業でしかないでしょう。
もし、仮に侵略が避けられなかったとして、占領・征服が成功したなら、軍政戦略からは、長期的に被征服地を支配・統治するための秩序形成をおこなわなければならないでしょう。
したがって、一方的な抑圧と収奪はできないことになります。
しかし、その地の社会の持続的な再生産を促進するレジームを樹立できないならば、
必要な資源を獲得したあと、できるだけ短期のうちに本来の領土内に軍を撤収させ、戦勝で獲得した国際的地位が「構造化」してしまうまで国境を防衛し、巧妙な外交政策をうち出し続けて、地位を守り続けるしかないでしょう。
それがムリなら、侵略はすべきではないでしょう。
戦勝しても、連合諸国側から、報復があるでしょうから、やはり侵略は避けるべきでしょう。