ロシアの平原からフランス西部にまでおよぶ広大な戦線にわずか数百台のティーガーを配備したところで、総体として実際の攻撃力、防御力では大した効果はありませんでした。
しかも、そのための補給線と兵站の構築・管理のために、膨大な資源と人員を割かねばならなかったのです。
その負荷は、全戦線に波及しました。
しかも、1943年以降、ヨーロッパの平原での戦車戦では、少数の高性能・精鋭の戦車ではなく、面状の軍事的支配圏域を獲得するために、きわめて多数の戦車の集中的な配備投入が要求されるようになっていました。
それは、ドイツ軍自身が先導してもたらした戦術でした。
ソ連のT−34は数万台が戦線に配備投入されました。T−34の大群のなかで、ティーガーは機動力と攻撃力を奪われていきました。
また西ヨーロッパ戦線では、M4シャーマンの数の優位の前に屈していったのです。
格段に劣る性能の戦車の大群を前に、高性能戦車は、自軍の戦線と補給体系を撹乱して混乱させ、挙句の果てに朽ち果てていきました。
つまりは、当時の状況では、ティーガーは局部的・微視的合理性を極限まで追求したあまり、戦略上無意味になった軍事技術だったのです。
同じことは列車砲、300o自走臼砲、戦艦ビスマルクなどについても当てはまります。
それぞれ、それ自体としてはすばらしい性能を誇る兵器だったのですが、戦略的に見て意味のあるように配備投入できるシロモノではなかったのです。
貴重な資源を浪費し、また飛び抜けた性能のために、ほかの兵器や陣形、艦隊との連携が有効に組織できなかったのです。
同じことは、日本の戦艦「大和」や「武蔵」にも言えます。これらの超弩級戦艦は、膨大な資源を浪費するために機動的に戦役投入ができず、シンボルとして停泊基地にとどまっていました。
そのことから、また海軍のエリートが利用する艦内の豪華な設備から、海軍の一般将兵からは「大和ホテル」「武蔵ホテル」と揶揄されていたようです。設備だけはものすごく立派で「動けない」からだとか。
飛びぬけた性能の兵器は、局部的合理性を極限まで追求した結果、特殊な目的に過剰適応し、全体のバランスを歪めることは、現代のハイテク戦車・戦闘機にも当てはまるようです。
しかし、ひとたび実戦配備すると、今度はこれに合わせて、全体システムを手直ししてバランスをとるようですが、果たしてどういうものでしょうか?
デザインは素晴らしいので、プラモデルの対象としてはなかなかのものだといえますが。
とういうよりも、世界経済における先端的な経済的・技術的競争から生み出される戦争とは、そういう傾向をもっているのかもしれません。
私たち人類は、ゆがんだ先端技術に合わせて社会全体のシステムを組み換えてきたようです。こうして、ゆがんだ全体にやがて当たり前のように順応してしまうようです。
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