殿、利息でござる! 目次
「無私の日本人」・・・
原作について
見どころ
あらすじ
奥州街道吉岡宿の悲惨
穀田屋と菅原屋
菅原屋、利息の重みに嘆く
殿様に金を貸して利息を…
物語は転がり始める
肝煎と大肝煎
全財産を質入れ
煮売り屋は情報の交差点
煮売り屋は情報の発信地
馬方、旦那衆を説く
穀田屋十三郎のコンプレックス
遠藤寿内の復帰
慎ましさを求める
藩への嘆願
門前払い
大肝煎の動揺
浅野屋甚内の覚悟と努力
親子、兄弟の絆
嘆願は認められたが…
浅野屋の悲願
「冥加訓」の教え
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穀田屋重三郎と菅原屋篤平治

  映像物語は、十年前――1756年頃か?――の吉岡宿の夜の出来事から始まる。この出来事は、物語の結末への伏線となっている。
  その夜、まだ健在だった先代の浅野屋甚内(山崎努)が一抱えくらいの大きさの甕のなかに小銭を入れ、ずい分貯まってきたとでも思ったかにんまりと微笑んだ。うなづいた甚内は二階の障子窓を開けて、物思いに耽った。
  すると、暗闇のなかを荷車に家財を積んでひそかに街を出ていこうとする一家――町の大工の九兵衛の家族――の姿を見つけた。甚内は声をかけた。
  「おい、家財一式を積み込んでどこへ行く?……あんたには銭を貸してあったな」
  金を借りた甚内から夜逃げを見咎められたと思った一家の亭主は、「お許しください……」と頭を下げて立ちすくんでしまった。甚内は二階から降りて一家のもとに行こうとした。

  場面は、それから十年を経た1766年に飛ぶ。
  吉岡宿の手前の丘の街道を、馬に若い女性と荷物を乗せて旅を往く30代と思しき、頭を総髪に結い上げた涼やかな相貌の男(瑛太)が吉岡宿に向かっていた。一見したところ、儒学者あるいは蘭学者風。
  この男は、吉岡宿の茶師、菅原屋篤平治だ。彼は京都に旅して、マーケティング戦略の効果的な一手を打ち、上首尾で帰途についていた。しかも。京で茶を売り、さらに江戸やそのほかにある茶葉の卸先から売掛代金を回収してきたので、懐もふくらんでいた。
  篤平治はこの辺でも名を知られた知識人で、頭の回転の鋭さでは定評のある男だった。彼は今、地元で茶を栽培し、味と品質の良い茶葉を生産していたが、奥州の名も知られぬ田舎町の茶はなかなか有利な買い手が見つからなかった。
  そこで、茶のブランド戦略を発動したのだ。
  選りすぐりの茶葉を、京洛で関白を務めたこともある名門公家、九条家に進呈しさらにいくばくかの寄進をすることで、茶に名前をつけてもらって、関白家お墨付きの銘茶のブランドを立ち上げようとしたのだ。
  作戦は成功した。そのうえ、京の有力な菓子司(名門菓子舗)の美貌の令嬢を妻にすることができた。
  篤平治はその新妻を馬に乗せ、吉岡町に悠然と帰郷しようとしていたのだ。


  篤平治と新妻が宿場の手前の丘に差しかかったときだった。町の方から吉岡宿の肝煎役(村長)の遠藤幾右衛門(寺脇康文)と手代たちが息を切らせて駆けつけてきた。
  篤平治は新妻に得意げな笑顔を向けて「おや、町の肝煎が私を迎えに駆けつけてくれましたぞ。じつはこの篤平治、町では一番の知恵者、切れ者として名が通っておるのです」
  「おや、私を出迎えに来てくれたのかい」と篤平治が笑顔を向けた。ところが、幾右衛門たちは徳平への挨拶もそこそこに、新妻を荷物とともに馬から降ろし、馬の手綱を取った。そして、急ぎ足で宿場の方に駆け戻っていった。
  篤平治は馬を取り上げられて、荷物や妻とともに置き去りにされ、憮然とたたずむしかなかった。「なんだ、馬がほしかったのかい」と嘆く。仕方なく重そうな2梱包の荷物を肩に背負い上げて宿場の自宅にようやく帰りついた。

  だが、問屋場前が騒然としていることに気がついた篤平治が、疲れた肩をさすりいたわりながら肝煎役の屋敷前まで来てみると、あの馬はさっそく荷駄を乗せられて伝馬の仕事についていた。十数人の伝馬役――これに荷駄を担いだ数人の歩行役――たちの列を率いて命令しているのは、馬上の郡の代官だった。
  代官は、それが当たり前とでもいうように無慈悲に伝馬役たちに命令を発していた。その姿を凝視して思案気に立ち尽くしているのは、造り酒屋の穀田屋十三郎(阿部サダヲ)だった。
  「お上はわれら百姓を取り絶やすつもりか。この伝馬役を何とかできぬものか」と嘆息する穀田屋に菅原屋は帰郷の挨拶をした。
  「おや、菅原屋さん、もう帰られましたか」
  「はい。しかし、相変わらず伝馬役はひどいものですな。私も帰り道の途中で先ほど、馬を取り上げられてしまいました。馬もかわいそうに。長旅で疲れているのに、重い荷物を背負わされて……」
  そのとき、穀田屋は何か思い詰めたような顔つきで代官の方に強い視線を向けると、懐に手を入れた。
  十三郎はその場に跪いて代官の方に向き直った。その懐には、折り畳まれ「上」という表書きの書状が入っていた。頭脳明晰な篤平治は、とっさに十三郎が代官に対して越訴おっそをするつもりだと悟り、十三郎を引き留めにかかった。
  「何をするんだ。お前、死ぬつもりか!」と十三郎を諫めた。
  藩の役人に越訴をすると、訴えた本人は死罪、そして店舗や家業は闕所(没収)となってしまう。しかも、訴えの内容はいわば藩政の非(無策ぶり)を指摘するものだから取り上げられないだろう。ということは、十三郎は無駄な死をすることになる。
  目の前で村の有力商人二人が諍い合っているのを見咎めた代官は、強い声で糺問した。「何ごとだ!」
  そして、篤平治が十三郎の懐から書状のようなものを奪い取って、自分の後ろに庇うようにした素振りを見て、「それは何だ。しかと見せよ!」と命令した。

  すると、篤平治は懐から九条家から賜った色紙――大切に和紙でくるまれていた――を差し出して、「ははっ、わたくし菅原屋はこのたび京の九条家から茶の銘名を賜りましたことをお知らせ申し上げようと思いまして」と答えた。
  色紙には、「春風の かほりもここに 千代かけて 花の浪こす すえの松山」という歌がしたためられていた。
  色紙を読んだ代官は笑顔になった。
  「さすが知恵者の菅原屋。九条家から命名を賜るとは、でかした。このことは殿にも申し上げておくぞ」と言い残して、去っていった。

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