というように、白皙長身の見かけ通り頭脳明晰な菅原屋なのだが、茶の栽培や販売の事業の経営には常々頭を痛めていた。
その日の夕刻、菅原屋は吉岡宿で一番の金持ちで造り酒屋と金貸し業を営んでいる浅野屋甚内の店内座敷にいた。彼と対座しているのは、甚内(妻夫木聡)だ。
菅原屋は、今回の旅で稼いできた金額のあらかた(紐を通して結んだ銭の山)を甚内の前に差し出した。
「浅野屋さん、これが借入金の返済分です。とはいっても、利息だけですが。
ところで、利息を何とか負けてもらえませんかね。旅で稼いできた金がほとんどこれでなくなってしまう……」と利息を値切る交渉をもくろんだが、端正な顔立ちの浅野屋甚内が張り付いたように柔らかな笑顔――だが無表情――を変えないのを見て、駆け引きを諦めた。
この支払は約定通りのもので、ことさら浅野屋が因業なわけではない。
とはいえ、浅野屋甚内は、この辺りでは吝嗇(ケチ)で高名を馳せていた。何しろ、寺への寄進はもとより、神社の例祭への寄付もほとんんどしない。町の寄合いでも費用のかかる飲み食いには顔を出さない。金はあるのに、自分はもとより妻子の着物も着古した粗末なものを当てがって、新たに買うこともない。
あたかも骨身を削るように倹約して小銭を蓄えているのだという。貧乏人から身ぐるみを剥ぐような因業ではないが、吝嗇の守銭奴として名が通っていたのだ。
1年間の利息を払い終えた菅原屋篤平治は、溜息をつきながら浅野屋を出て、帰路についた。だが、気が塞いでならなかったので、憂さを忘れるため宿場の中町にある煮売り屋「しま屋」で酒を飲むことにした。浅野屋に持ち金はすっかり払ってしまったため、もちろん「つけ」で飲むのだが、しま屋のつけには利息がつかないのが何よりの救いだ。
篤平治が女将のとき(松たか子)が給仕した酒をちびりちびりやり始めたとき、小さな店の奥に穀田屋十三郎がいることに気づいた。十三郎は、浅野屋甚内の実の兄だということから、菅原屋は利息を一文たりともまけようとしない甚内への愚痴をこぼした。
「あなたの弟、甚内さんの利息の取り立て、何とかなりませんかねえ。もっと安くできないもんですかねえ」
「弟はお親父によく似ていて、吝嗇の守銭奴です。どうにもなりません」と穀田屋は突き放したような返答を返した。
穀田屋は弟の浅田屋甚内に対して何やら強いコンプレックスを抱いているようだ。弟の方が優秀で、そのため自分は浅田屋の跡取りにはなれずに養子に出されたと思い込んでいるのだ。
「京まで旅して稼いだ金もあらかたなくなってしまった。茶の栽培を増やそうと思って一生懸命稼いでも、ほとんど利払いに消えてしまって、そちらに回す金が出てこない。
この町は貧しくなる一方だが、名産ができれば金を稼いでなんとかできる。だが、稼いだ金が利払いに消えてしまえば、この町の名産づくりの手を広げて町を豊かにしようとしても、思うようにいかない。
京の九条関白家に茶を献上して命名を賜ったのも、箔をつけて名産に仕立てようとしたためなんですがねえ」と菅原屋は嘆息する。
穀田屋は、貧しい町をどうにかしようとして茶を名産に仕立て上げようともくろんでいる菅原屋の想いを知った。知恵者の菅原屋なら、この町の悲惨な現状を何とかできる手立てを考案できるのではないか。そう思った穀田屋は。日頃の悩みを打ち明けて、意見を仰いだ。