九兵衛は1貫文ほどの銭を抱えていたが、それは盗んだものではないと言い張った。話を聞くと、九兵衛はその銭を浅野屋甚内に返すつもりだという。
こんな夜中に浅野屋の軒下で様子を探るような怪し気な素振り見せたことについて聞かれると、九兵衛は意外な事実を語り始めた。
話は、九兵衛が夜逃げした15年前の真夜中から始まる。
この物語の冒頭に描かれたように、あのとき浅野屋甚内に夜逃げするところを見つかってしまった九兵衛は、通りに立ちすくんだまま平身低頭して甚内に「借財を返せなかったことを」詫びた。
九兵衛一家の前にやって来た甚内は、
「あんたは本当によくやった。悪いのは、努力しても借金が返せなくて追いつめられ夜逃げするようになったあんたではない。そういうふうに追い込んだ世の中の仕組みが悪い。だから、あんたはこうなったことを恥じることはない。
私への借金のことは忘れなさい。
少ないが、これはせめてもの選別だ。この銭でやり直すんだ。このあとも胸を張って生きろ!」
そう励まして、1貫文ほど入った布袋を手渡した。
「本当にありがたかった。浅野屋さんの心配りを励みにして、俺は仙台の町に行き、歯を食いしばって頑張って働いてきた。そうして立ち直り、今では家族が心配なく暮らせるようになった。
だから、せめてあの時にいただいた銭だけでも返そうと吉岡宿に帰ってきて浅野屋さんに会ったんだ。
そうしたら、甚内さんは7年前に亡くなって、今では坊ちゃんが浅野屋さんを継いで二代目の甚内になっておられるというではないですか。そこで、坊ちゃんに先代の甚内さんから受けたご恩のことをお話しし、この銭を返そうとしたら、『それは父が差し上げたものだから、受け取るわけにはいかない』と言い張って受け取ってくださらないんだ。
だから、この銭を戸の隙間から投げ込んでお返ししようとしていたのさ」
「あのケチでしみったれの甚内さんが、まさかそんなことをしたなんて!」とみんなが驚いていると、
「たしかに甚内さんはお金がある商人たちには借金の取り立てや利息の催促が厳しかった。それは払える人たちに対してだ。
けれども、わしら貧乏人には一度たりとも催促や取り立てをしたことがない!」
「そう言われてみると、おらも借金の返済を迫られたことがない」と孫たちが次々に言い出した。ここで一気に先代の浅野屋甚内の人徳が浮かび上がってきた。
「そんなはずはない、あの親父が!」という叫びが戸外から聞こえてきた。穀田屋十三郎だった。
そのあと気を取り直した十三郎は、浅野屋甚内の実像を問いただそうと考えて、弟が営む浅野屋へ向かって歩き始めた。後に続いたのは菅原屋だ。菅原屋は穀田屋の前を通るときに、十三郎の息子の音右衛門の手を捕らえて「あんたも来い!」と言って同行させようとした。
■親子二代、秘めたる悲願■
穀田屋や菅原屋たちに当代の浅野屋甚内が語ったのは、親子二代にわたる浅野屋甚内の壮絶な覚悟と努力だった。甚内は、先代が死のまぎわの病床で遺言として残した言葉を語った。それはあらましこうだった。
先代甚内は、吉岡宿が伝馬役の重い負担に耐えかねて年を追ってさびれ衰退していく傾向を憂い、何とかしようと考えた。その解決策とは、生活を切り詰め倹約節制して毎日少しずつ小銭を貯めまとまった金額にし、それを藩に差し上げて、伝馬役の負担を減じてもらうことを願い出ることだった。
死の床で、先代はこの同じ課題を跡継ぎも甚内という名とともに受け継ぎ、質素倹約に勤めて銭を貯めること、そしてそれでも金額が足りなければ、その息子にやはり名を継がせて貯蓄するように命じたのだという。
このたび拠出した1000貫文のなかにその貯蓄分が入っているのだという。あの甕にため込んだ銭や小粒銀貨がそれだ。
「私はそんなことは聞いてないぞ!」十三郎は、なぜ父親はそのことを伝えてくれなかったのかと訝った。その理由は、兄弟の母きよ(草笛光子)によれば、「養子先の穀田屋さんを巻き込みたくなかったからですよ」ということだった。