殿、利息でござる! 目次
「無私の日本人」・・・
原作について
見どころ
あらすじ
奥州街道吉岡宿の悲惨
穀田屋と菅原屋
菅原屋、利息の重みに嘆く
殿様に金を貸して利息を…
物語は転がり始める
肝煎と大肝煎
全財産を質入れ
煮売り屋は情報の交差点
煮売り屋は情報の発信地
馬方、旦那衆を説く
穀田屋十三郎のコンプレックス
遠藤寿内の復帰
慎ましさを求める
藩への嘆願
門前払い
大肝煎の動揺
浅野屋甚内の覚悟と努力
親子、兄弟の絆
嘆願は認められたが…
浅野屋の悲願
「冥加訓」の教え
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門前払い

  橋本代官から届けられた嘆願書は郡奉行の今泉七三郎(磯田道史を配役)の手を経て藩庁の財務担当部門に回された。そして、出入司の萱場杢(松田龍平)の決裁を受けることになった。
  ここで仙台藩の藩庁組織について知ったかぶりをしておく――磯田の著書の受け売りにすぎないが。

  伊達藩では藩主は藩の統治を6人の奉行に任せていた。藩主=殿さまの承認を必要とせずに奉行たちは職掌部門の意思決定と行政を執行した。財政に関する奉行は「財用方取切」と呼ばれ、軍事や寺社に関する奉行よりも一段低いと評価されていた。金をあつかい、商工業とか郡方の行政つまり民生に関わる仕事だった。
  実質的には財政管理は、藩政の心臓部であって、それがなければ統治の実務は立ち行かないのだが、武ばった部門や貨幣の臭いから遠いところにいるものほど高尚とされたらしい。日本の幕藩体制のなかでも相当に遅れた統治組織だった。
  つまり、仙台藩の武士たちは、資本主義的な経営様式が普及し始めている市井の庶民たち、すなわち町場の商人や農民たちに比べてかなり遅れた頭で生きていたということだ。


  その財用方の奉行の下に4人の郡奉行が置かれていたが、雄藩の仙台藩は領国も広く20ほどの郡があるが、その広大な郡部の行政をたった4人の奉行が取り仕切っていたのだ。
  わずか4人の郡奉行の配下におよそ30人の代官がいて、ひとつの郡当たり1ないし2人が配置されていた。62万石もの産高の広大な領地をわずか30人の代官と4人の奉行が担っていた。当然担えるわけがない。
  各郡の民生つまり農業や商工業、町村の行財政を実務として采配してたのは、千坂仲内のような大肝煎、そして郡内の各町村ごとに任命された肝煎たちだったのだ。彼らは、奉行や代官から統治実務を丸投げされていたのだ。

  さて、そういう財用方部門の行財政の意思決定と税収管理、費用支出を実務として統制してのが、出入司の萱場杢だった。頭脳明晰で冷徹で、重箱の隅まで目を配る切れ者だった。経済や金融の知識に長けていたが、その知見を藩の収入を増やす方向で活用し、そのさい藩の民衆の生活や厚生などは冷酷に無視することができる男だった。
  財務官僚だったが、藩の誰よりも法規に詳しく、政治力学を知り抜いていた。
  軍事や寺社などの奉行たちは、腹のなかでは財務方を見下していたが、いざ藩政の実務を動かすときには萱場杢に頭を下げるしかなかった。
  ことに2代続いた見栄っ張りの藩主の政策から25万両もの財政収支欠損が見込まれた先頃、「解決策」を打ち出したのが杢だった。その解決策が銭の増鋳だった。つまり、通貨膨張を呼び起こしてインフレイションをもたらし、名目上、藩財政の逼迫を糊塗するためだった。
  それでも藩財政が回るということは、この時代にかなり急速な経済成長が見込まれたということなのだろう。実物経済での生産性が増大しないと、インフレで財政破綻に陥ってしまうのだから。

  さて、その萱場杢は吉岡宿からの嘆願状をどう判断したか。結論は、「藩の財政逼迫につけ込んで金を貸して利息をもぎ取ろうとする自分勝手な要望だ」ということで、「吟見なされ難く候」として却下した。検討の俎上に乗せることもなく門前払いをかけたというわけだ。
  さすがに萱場杢。申請の理由となった伝馬役の費用負担に宿場町が耐えかねているという事情は完全に黙殺した。

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