「そうか、1000両あれば、この町は何とかなるのか」
穀田屋の心は「解決策が見つかった」という感動で躍動し始めていた。……つまり、十三郎はとてつもない変人・奇人だということだ。普通、大きな壁が目の前に立ち塞がれば、人は意気消沈してしまう。ところが、穀田屋は厚く高い壁の向こう側に目標と解決策を見出したのだ。壁の威圧感よりも、その向こう側にある目的に突き動かされたのだ。
こういうふうに、外圧刺激の受け取り方(感受の仕方)が特異な変人が、社会の変革を呼び込むのかもしれない。
■菅原屋は驚く■
数日後。その日、菅原屋篤平治は茶畑で可愛らしい妻加代に茶の栽培のやり方を手ほどきしていた。新婚時の楽しさを満喫していた。日当たりの好い丘の南向き斜面の一面に茶畑が広がっていた。
ところが、そこに穀田屋十三郎が連れ人とともに訪れた。連れは十三郎の叔父、穀田屋十兵衛(きたろう)だった。
穀田屋訪いの知らせを聞いた加代は、篤平治に近頃聞いた穀田屋に関する噂を話した。「近頃、穀田屋さんは何やら大きな願懸けをして、大好きな銭湯にもいかず、節約しているそうですよ」と。
菅原屋は何用かと思いながら、斜面を下って穀田屋たちのところに行った。
挨拶もそこそこに穀田屋は話し始めた。
「菅原屋さんの、伊達の殿さまにお金を貸して利息をもらうという考えを、叔父貴の穀田屋十兵衛に話したところ、いたく感動して大乗り気です。われらの同志になりたいと言うんです。叔父貴も常日頃、伝馬に苦しみさびれる一方の吉岡宿を何とかしたいと思ってきました」
菅原屋は驚いて問い返した。「1000両なんていう途方もない大金をわれらが集めることなんて無理ですよ」
「いや、同志を10人ほども募れば、一人頭100両、銭にして500貫文ずつ出し合えば何とかなりますよ」穀田屋は自己犠牲を払う強い姿勢を打ち出した。
当時の物価を現在に引き直せば、1両が約30万円だから1000両はおよそ3億円で、一人当たりの拠出金は3000万円くらいとなるという。まあ、10人が自分の財産をそっくり抵当に入れて都合すればということになるのだろう。
しかし、18世紀半ばの物価で、一文銭は約60円。500貫文はその貨幣が60万枚集まった金額だ。
「しかし、殿さまから毎年100両の利息を受け取っても、私たちはそれを自分でもらう訳にはいかないんですよ。そんな自分の得にならないもののために、一人500貫文も出す人が集まるとは思えませんがねえ」
それでも馬車馬のように走り出そうとする穀田屋を抑えるために、菅原屋は重苦しい(大それた)意見を言い出した。
「お上にわしら百姓が金を貸してりを取ろうなぞという大それた企ては、簡単にはいきません。まず、吉岡宿の肝煎に話を打ちあけて相談しなけりゃならんでしょうなあ。
肝煎がだめだと言えば、この話はおしまいじゃ」
肝煎は藩が指名する村役人で、村方の代表でもあるものの、藩=武士階級の側の統治行政の末端機関だ。むしろ、藩の無理な言い分を町民や農民に伝えるのが役目だ。つまり、百姓たちが大それた考えや行動を抑え込むために動くのが通常だ。
百姓が大金を集めて藩主に貸し付けて利子を取るなどという大それた企てに乗るはずがない。菅原屋としてはそう考え、穀田屋の暴走を抑えようとしてこう言い出したのだった。