というわけで、穀田屋十三郎の熱情によって、1000両の資金をつくろうとする仲間は、菅原屋篤平治のほかに穀田屋十兵衛、肝煎の遠藤の遠藤幾右衛門、大肝煎の千坂仲内を加えて5人となった。穀田屋十三郎と菅原屋篤平治が動き始めてから3年が経過しようとしていた。
5人ともこの近在ではかなり富裕な資産家だが、1000両は彼らの財政力をはるかに超える途方もない大金だった。で、十三郎の提案でひとまず同志一人当たり500貫文の資金を拠出し合って資金をつくることになった。そうすることで集まる資金は2500貫文となり、目標の5000貫文の半分にまで達することになる。
とはいえ、頭割りの500貫文(およそ3000万円)も、彼らの商売や家計の経営規模からすると能力を超える金額だった。
ところが最近、彼らは藩が銭を増鋳することになったという情報を得た。となると、菅原屋の読み通り藩は金に困っている。しかし、鋳銭が始まり軌道に乗ってしまえば、藩は彼らの支援金を受けなくてもよくなる。銭をどんどん発行できるから。資金調達を急がなければならない。
そのため、彼らは協議して、それぞれ土地や家財を抵当に入れて早急に500貫文の資金を調達することに決めた。
ところが、そういう方法での資金調達はそもそものはじめから債務超過を招く無謀なものだった。というのも、それを自らの生業に経営に運転資金として投入するわけではなく、経営とは無関係な基金(ファンド)として固定しまうからだ。つまり、商売の経済的再生産というか家計循環をここで断ち切ってしまうことになる。
ということは、家財や土地を質入れしたといっても、事実上は売り払って資金調達したということになる。現代社会なら、この時点で経営破綻することになり、つまり破産ということになってしまう。
いくら江戸時代でも、そういう資金調達はありえないと思う。原作でも、そこまで深刻な事情とは書いてないような気がするのだが。
この辺りの事情は、映画では観客に事の重大さをわかりやすくするため、相当に誇張して描かれているようだ。
とはいえ、家財すべてを質入れしての資金調達の経緯はじつに面白く描かれている。
たとえば穀田屋十三郎は、家財一切のほかに、亡き妻の遺品の着物やら笄やらも質に差し出してしまう。そのため、長男の音右衛門と対立して口論となってしまう。もちろん、経営者の姿勢としては音右衛門の方が正しい。父親の方が熱情に浮かされて無謀な試みをしているのだ。
菅原屋篤平治は妻に、茶畑や家財すべてを質入れして町のために500貫文の資金を借りて拠出することにしたと打ち明けた。ここで、妻が反対したらそんな無謀な企てはやめるつもりだった。ところが、妻はその自己犠牲精神に深く感動して「あなたの妻になったことが誇らしい」と宣言して、むしろ内心では腹の座らない篤平治を叱咤激励する。
そのあげく、九条関白家から賜った色紙も質として差し出すことを求めた。そして、「それだけはやめよう」と言う夫を「模範となるべく率先して貴重なものを差し出すべきです」とハッパをかけることになった。
肝煎の遠藤幾右衛門もまた家財のあらかたを抵当に差し出したが、500貫文にわずかに足りなかった。そのため、愛息に買ってやった高価な玩具までも取り上げて抵当に入れた。お気に入りの玩具を取り上げられた息子は火がついたように泣き出し、おろおろする幾右衛門。
穀田屋十兵衛は、家のなかの目ぼしいものを漁る金貸し商人から、お気に入りの黄表紙本(色事を描いた本)まで取り上げられてしまった。
金貸し商人は、抵当として差し出された家財を大八車に山のように積み込んで引き上げていった。とりわけて穀田屋十三郎と菅原屋篤平治の家から引き取って持ち出した質草の量は大きくて目立ったようだ。
そういう財貨の動きを、吉岡宿内の両替商にして金貸し業者、遠藤寿内(西村雅彦)は見逃さなかった。そういう財貨の動きに関して寿内はことのほか鼻が利くのだ。彼もまた利に敏い辣腕の商人なのだ。
大八車に家財を積んで町から出ていくのは、借財に首が回らなくなって破産し夜逃げする者か、運悪く債権者に差し押さえられた者か、というのがこの町の通り相場だ。
だから、遠藤寿内は、肝煎の幾右衛門に穀田屋と菅原屋の突然の不審な動きを知らせた。「商いが立ち行かなくなってこの宿場から去るかもしれませんぞ」と。
しかし、幾右衛門は同志である2人が資金調達のために家財を質入れしたことを知っているので、驚かなかった。