穀田屋の煩悶は、吉岡宿のひどい衰退を何とかしたいということだった。
何しろ、伝馬役の負担が重くて、このままでは吉岡宿はさびれるばかりだ。村人が持つ農地もわずかで、これといった生業がない。街道の旅人相手に商売をしたくても、いまでは脇街道の方が盛んになって、この宿を通る人は大いに減ってしまった。街道の表通りでさえ潰れ屋が出て、前は家があった空き地には雑草が生い茂っている。
「この宿場のさびれ方はひどい。尋常ではない。伝馬役の負担のせいじゃ。このままでは、この宿は滅びてしまう」と十三郎は日頃の悩みを打ち明けた。
菅原屋は、このたび京の九条家に茶を献じて和歌をもらうにいたった狙いを語った。菅原屋はこのところ茶の栽培を始めて、京の名茶、上喜撰にも引けを取らない茶「喜撰」を生産するようになっていた。だが、奥羽の地での茶は相手にもされなかった。
「吉岡宿がすたれていくのを何とかしたいと思うての。九条家に茶を献じたのは、陸奥の国でもこのような上喜撰に負けない茶ができることを認めてもらおうとしたからじゃ。何の国産(特産物)もなければここでは食うていけまい。
名物としてこの茶が売れれば、この町も金稼ぐことができる」
十三郎は驚いた。公家のなかでも最高位の九条家をも恐れることなく、自分がつくり売る茶の権威づけに利用しようとしているのだ。智慧の回り方が人並み優れている。
十三郎は篤平治ならこの吉岡宿を救う方策を思いつくのではないかと思い、「篤平治、この町を救う手立てはないか」
「うーん……」と菅原屋はうなってしばし物思いに沈んだ。そして、金を借りて年1割の利息を払わねばならない、自らの身を思ったときに、日頃の考えがまとまったようだ。
そして、「1500両……いや1000両の金があればなんとかなるのだが」と言い出した。穀田屋はどういうことだと問いかけた。
「お上(伊達の殿様)は、このところとみに手もと不如意じゃ。近隣の木材をどんどん切り出して売り払っている。今では近場の木材は切り尽くしてしまって、奥地の木材もどんどん切っている。だから伝馬役の使い方も荒くなっている。
そこでだ、その金をお上にいったん差し上げ、その利子をいただくのじゃ。まあ、とりあえず1000両の金をお上に貸しつけることができれば、年利は1割じゃから、毎年100両がこの町に入る。それを全戸に分配して伝馬の費用に充てれば、負担はぐっと減ってどうにかこの宿も生き延びることができるじゃろうて」
「ええっ、あたしに1000両貸すの?」と、ここで「しま屋」の女将が――「お上」と「女将」を取り違えて――トンチンカンな質問をする。すかさず篤平治は「女将ではない。仙台におわす伊達の御殿様じゃ」と説明した。
「1000両あれば何とかなるのか?」と真剣な目つきで穀田屋が問うた。
「まあな、じゃが1000両は途方もない大金じゃ。われらの力ではどうにもならぬ」と菅原屋は返答した。
原作では、菅原屋も穀田屋と同じように1000両の資金を調達することに必死になるのだが、映画では、菅原屋は1000両もの大金を集めるのは無理だろうと諦めかけている。そして、1000両を集めようと躍起になる穀田屋の情熱を冷まそうとする抑え役となっている。