観察者、マキァヴェッリ 目次
考察の射程と視座
1492年から94年
教皇の企み
シャルル8世の侵攻
揺れるフィレンツェ
サヴォナローラの煽動
フィレンツェの政変
煽動者の末路
混迷するイタリア戦線
フランス王軍の快進撃
シャルル包囲網
神聖同盟
喉元過ぎれば…
フランス王の逆襲
権謀の果てに
君主なきイタリア
奮闘するマキァヴェッリ
市民軍の組織化
教皇権力の膨張
共和政の最期
ジョヴァンニの執念
マキァヴェッリの苦悶
社会と権力闘争の観察者
なぜ《君主》を論じたのか
強制力の鎧をまとう威信
君主権力の限界
財政基盤の脆弱性
脆い権力基盤
ブルジョワとの同盟
革命理論としての君主理論
マキァヴェッリと現代
政権党の構造的危機
逃れられない利権構造
失われゆく威信
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揺れ動くイタリア

揺れるフィレンツェ

  多数の都市国家に分裂して相争うイタリアは、外部の強大な権力に対して無防備に開かれていた。
  これらの都市国家(の支配者たち)は、ヨーロッパの政治的・軍事的環境が転換するという状況のなかで、自己保身のための庇護を求め、むしろ「有利な身売り先」を求めていたともいえる。
  あまたの都市国家が同盟すれば、フランス王軍に対抗できただろうが、諸都市は互いに相手を出し抜くことにあまりに没頭していた。「イタリア」として結束するという心性はどこにもなかったようだ。  フィレンツエでは、メーディチ家の権力が急速に揺らぎ始めた。
  富裕階級のなかにはメーディチ家門を追い落とそうとする派閥もあったし、住民の間の貧富の格差も大きく、下層民衆の憤懣も蓄積していた。

サヴォナローラの煽動

  さて、怪僧ジローラモ・サヴォナローラは、イタリア諸都市で商業貴族の権勢やローマ教会の腐敗を憂慮して、早くから変革を志していたと見られる。ただし、彼は「原理主義」に奔った。
  1481年に彼はドメーニコ修道会からフィレンツェに派遣され、サン・マルコ修道院の教導師(説教師)を務めた。生活は赤貧洗うが如し。熱情を込めた説法。憑かれたような話術は民衆を魅了した。
  当然のことながら、彼の説教はメーディチ家の権勢、驕慢に対する非難に満ちていた。その意味では、民衆の心情を代弁していた。
  彼は「聖典に反する驕りと退廃に満ちたイタリアには、黙示録のように、遠からず恐ろしい神罰が下されるだろう」という予言を連発した。「やがて、メーディチ家のロレンツォは死の罰を受けるだろう」と。
  毎年そんな予言をすれば、いつかは当たる。1492年にロレンツォが病死すると、サヴォナローラは得意の絶頂に達した。そして、神罰としてイタリアに破壊をもたらし悔恨を強いるはずの(神の剣を手にした)強大な軍がアルプスの彼方からやって来る、手遅れにならぬうちに悔い改めよ、と檄をとばした。

  フランス王シャルルのイタリア侵攻は、まさにこの予言の現実化だ、とこの教導師は強弁した。シャルルの方も、自分の権威や権勢を増幅する道具は何でも利用しようとしたから、サヴォナローラと暗黙の提携を結んだかもしれない。

  おりしもその頃、イタリアをたびたび凶作と飢饉が襲いかかった。食糧価格の高騰は民衆を苦しめていた。
  各地で戦乱が続いたため、都市には疲弊したり逃散した農民が流れ込み、貧困な下層民が増大した。
  しかし他方では、商人から成り上がった門閥貴族が君主の地位に居座り、富と権力を謳歌し誇示するために、贅沢の限りを尽くしていた。教皇庁と教会幹部――だいたいが富裕家系出身――も富と権力にまみれて腐敗していた。
  イタリアは繁栄の極点に達すると同時に統治秩序の臨界点に達し、いわば知的・道徳的危機に直面していた。
  そこに、巨大なフランス王権の侵攻である。
  フィレンツェでは、ピエーロの統治能力の欠如もあって、支配階級は分裂した。政庁は麻痺した。民衆の多くは強い危機感のせいか、サヴォナローラの説教を妄信した。一触即発で暴動や蜂起が起きそうだった。

  迫り来るフランス王軍の圧力を宥めようとしたピエーロは、シャルルのもとに自ら出向いて和睦を乞うた。
  そのさい、ピエーロは、屈辱的な譲歩を重ねた。フィレンツェが苦労惨憺を重ねてようやく手に入れたピーサとリヴォルノの統治権を自らシャルルの手に委ね、そのほかのトスカーナ諸都市の城塞を明け渡す約束を交わした。
  支配階級のあいだにピエーロの講和政策に対する不満や非難が広がっていった。

フィレンツェの政変

  フィレンツェでは、メーディチ家門の一族すら巻き込み、有力家門のあいだで、民衆の評判も芳しくない無能なメーディチ家のピエーロとその側近たちを追放する策謀が企てられていた。
  シャルルへ卑屈なな譲歩は、政庁のプリオーレ団――都市の僭主を補佐して統治・軍事に関する宰領・補佐をおこなうエリート集団――に、ピエーロ追放の格好の口実を与えた。
  メーディチ家の追い落としを狙っていた家門にとっては、千載一遇の好機だった。メーディチ派の内部でも、ロレンツォなきあと、やたら威張り散らして無能なピエーロに反感を持つ者が増えていた。メーディチ派はいまや分裂していた。

  突然、有力門閥と民衆は「共和政を!」というスローガンを掲げて、修道士サヴォナローラの煽動に乗っていった。もとより有力門閥は、民衆の不満をメーディチ打倒のために動員しようとしたのであって、民衆の代表を参加させての共和政を求めたわけではない。
  修道士サヴォナローラは、メーディチ家の専制支配を糾弾し「新たな統治の到来」の予言を振り撒いき続けていた。

  こうして、フィレンツェでは、民衆の熱狂に煽られるようにメーディチ家の君主の専制に代わって、各種の委員会や協議会が統治する「共和政」が復活した。
  都市君主の独裁や高位聖職者の腐敗を糾弾するサヴォナローラの主張は、平等や特権廃止=反権力の響きを持っていた。民衆は彼の主張に歓呼で応えた。
  このとき、しがない1人の若者、ニッコロ・マキァヴェッリは、サヴォナローラの演説を「アホか」と思いながら、軽薄に喝采を送る民衆をも、冷ややかな目で眺めていた。
  衆愚というべきだが、しかしそれが政治の現実なのだと。

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