多数の都市国家に分裂して相争うイタリアは、外部の強大な権力に対して無防備に開かれていた。
これらの都市国家(の支配者たち)は、ヨーロッパの政治的・軍事的環境が転換するという状況のなかで、自己保身のための庇護を求め、むしろ「有利な身売り先」を求めていたともいえる。
あまたの都市国家が同盟すれば、フランス王軍に対抗できただろうが、諸都市は互いに相手を出し抜くことにあまりに没頭していた。「イタリア」として結束するという心性はどこにもなかったようだ。 フィレンツエでは、メーディチ家の権力が急速に揺らぎ始めた。
富裕階級のなかにはメーディチ家門を追い落とそうとする派閥もあったし、住民の間の貧富の格差も大きく、下層民衆の憤懣も蓄積していた。
さて、怪僧ジローラモ・サヴォナローラは、イタリア諸都市で商業貴族の権勢やローマ教会の腐敗を憂慮して、早くから変革を志していたと見られる。ただし、彼は「原理主義」に奔った。
1481年に彼はドメーニコ修道会からフィレンツェに派遣され、サン・マルコ修道院の教導師(説教師)を務めた。生活は赤貧洗うが如し。熱情を込めた説法。憑かれたような話術は民衆を魅了した。
当然のことながら、彼の説教はメーディチ家の権勢、驕慢に対する非難に満ちていた。その意味では、民衆の心情を代弁していた。
彼は「聖典に反する驕りと退廃に満ちたイタリアには、黙示録のように、遠からず恐ろしい神罰が下されるだろう」という予言を連発した。「やがて、メーディチ家のロレンツォは死の罰を受けるだろう」と。
毎年そんな予言をすれば、いつかは当たる。1492年にロレンツォが病死すると、サヴォナローラは得意の絶頂に達した。そして、神罰としてイタリアに破壊をもたらし悔恨を強いるはずの(神の剣を手にした)強大な軍がアルプスの彼方からやって来る、手遅れにならぬうちに悔い改めよ、と檄をとばした。
フランス王シャルルのイタリア侵攻は、まさにこの予言の現実化だ、とこの教導師は強弁した。シャルルの方も、自分の権威や権勢を増幅する道具は何でも利用しようとしたから、サヴォナローラと暗黙の提携を結んだかもしれない。
おりしもその頃、イタリアをたびたび凶作と飢饉が襲いかかった。食糧価格の高騰は民衆を苦しめていた。
各地で戦乱が続いたため、都市には疲弊したり逃散した農民が流れ込み、貧困な下層民が増大した。
しかし他方では、商人から成り上がった門閥貴族が君主の地位に居座り、富と権力を謳歌し誇示するために、贅沢の限りを尽くしていた。教皇庁と教会幹部――だいたいが富裕家系出身――も富と権力にまみれて腐敗していた。
イタリアは繁栄の極点に達すると同時に統治秩序の臨界点に達し、いわば知的・道徳的危機に直面していた。
そこに、巨大なフランス王権の侵攻である。
フィレンツェでは、ピエーロの統治能力の欠如もあって、支配階級は分裂した。政庁は麻痺した。民衆の多くは強い危機感のせいか、サヴォナローラの説教を妄信した。一触即発で暴動や蜂起が起きそうだった。
迫り来るフランス王軍の圧力を宥めようとしたピエーロは、シャルルのもとに自ら出向いて和睦を乞うた。
そのさい、ピエーロは、屈辱的な譲歩を重ねた。フィレンツェが苦労惨憺を重ねてようやく手に入れたピーサとリヴォルノの統治権を自らシャルルの手に委ね、そのほかのトスカーナ諸都市の城塞を明け渡す約束を交わした。
支配階級のあいだにピエーロの講和政策に対する不満や非難が広がっていった。
フィレンツェでは、メーディチ家門の一族すら巻き込み、有力家門のあいだで、民衆の評判も芳しくない無能なメーディチ家のピエーロとその側近たちを追放する策謀が企てられていた。
シャルルへ卑屈なな譲歩は、政庁のプリオーレ団――都市の僭主を補佐して統治・軍事に関する宰領・補佐をおこなうエリート集団――に、ピエーロ追放の格好の口実を与えた。
メーディチ家の追い落としを狙っていた家門にとっては、千載一遇の好機だった。メーディチ派の内部でも、ロレンツォなきあと、やたら威張り散らして無能なピエーロに反感を持つ者が増えていた。メーディチ派はいまや分裂していた。
突然、有力門閥と民衆は「共和政を!」というスローガンを掲げて、修道士サヴォナローラの煽動に乗っていった。もとより有力門閥は、民衆の不満をメーディチ打倒のために動員しようとしたのであって、民衆の代表を参加させての共和政を求めたわけではない。
修道士サヴォナローラは、メーディチ家の専制支配を糾弾し「新たな統治の到来」の予言を振り撒いき続けていた。
こうして、フィレンツェでは、民衆の熱狂に煽られるようにメーディチ家の君主の専制に代わって、各種の委員会や協議会が統治する「共和政」が復活した。
都市君主の独裁や高位聖職者の腐敗を糾弾するサヴォナローラの主張は、平等や特権廃止=反権力の響きを持っていた。民衆は彼の主張に歓呼で応えた。
このとき、しがない1人の若者、ニッコロ・マキァヴェッリは、サヴォナローラの演説を「アホか」と思いながら、軽薄に喝采を送る民衆をも、冷ややかな目で眺めていた。
衆愚というべきだが、しかしそれが政治の現実なのだと。