ところが、目先の政権維持のための小手先の手直しや弥縫策に終始するので、政権政党としての信頼感を回復するための大胆な変革や政策の提示ができない。そこで、ますます支持基盤が掘り崩されていく。
とりわけ、中央省庁の上級官僚との癒着=同盟関係については、政策能力の建て直しとも絡めて、深刻な見直し・解体・再構築が必要だ。
というのも、その改変は、「既存の官僚機構の利権や権力」に大きなダメイジを与えるはずだから、執拗な反対・妨害に出会い頓挫するかもしれない。そして、このダメイジは、大きな破壊力を持ちそうだ。だから、怖くてできないようだ。
ところが、現状では、自民党は自らの失敗は当然として、官僚機構の腐敗や機能不全の責めまで負い続けなければならない。上級官僚との「癒着=同盟」をヘゲモニー再生産の土台としてきたから、当然の報いではある。
それに、もはや党議員のなかに政権の指導者たりうる人材はいない。人材の新陳代謝をしなければならない。かつてはいたが、腐食した組織環境のなかで同じように腐食にまみれてしまった。
現在の安倍政権はどうか。
総選挙で得た多数議席を背景に、既存の権力基盤を維持しながら、つまり上記のような改革には手をつけずに「国家イデオロギー」の組み換えに執着している。
世論を肝心な問題から逸らして別の方向に誘導するかのように。
巧みなプレゼンテイションを打ち出すブレインの言うままに、安倍さんは華麗とも言えるほどの言葉を振りまきながら。
それが政権の独自性を打ち出す方法であるかのように。
ひょっとするとそこには、国民国家の財政危機とグローバリゼイションによって、住民の「国民としての」統合性=凝集がますます上っ面の仮象――国民としてのアイデンティティの希薄化・喪失――になりつつあることへの深刻な危機感があるのかもしれない。
国内の雇用を犠牲にしても海外に生産・販売基盤を拡張するしか資本家的大企業の生き残り戦略はないように見える。別の形態の資本蓄積の方法はあるのか。資本の権力による世界化は、世界と国内の格差と不平等、利害敵対を増幅するしかないようだ。
しかし――話題を戻すと――、総選挙の公約では景気回復と所得回復、財政再建とかだったのではないか。多数を盾に、約束として表明していなかった政策に躍起になっている。
東アジアの国際情勢や軍事的環境の変化に過剰・過敏に対応している。景気停滞が民衆の生活におよぼす影響よりも、それが日本の国家としての地位や威信の低下に結果することの方を気にしている。
私たちは「強い日本の回復」ではなく、「まともな穏やかな生活の回復」を求めているはずだが。
だが、長期的に財政危機を増幅させてきた構造には手を触れられないようだ。
ただし、政権の発足・始動が景気循環の上昇波とシンクロしたことで、一見安定した支持基盤を確保しているかに見える。だが、日本の財政累積赤字は巨額で、もはや償還不能な金額に達しているのではなかろうか。
結局のところ、「愛国心」は――妄執的な狂信を除外すれば――住民多数との打算的な取引であって、金と利害誘導で買収するものだ。「ありがたみ」を感じさせる利益を供与するからこそ「国家のありがたみ」を意識するのだ。
ところが、消費税増徴やら福祉予算の制限など「国家のありがたみ」を切り縮めながら「愛国心」を訴えても白けるだけだ。白けるから、なおのこと躍起になるのかも。
しかし、それはやがて支持基盤を切り縮め掘り崩すことにつながるだろう。
そもそも「国会政治」という特殊な業界の独特な利害構造に政党組織や代議士たちが深く取り込まれ、自らの利害にばかり目を向けて、もはや市民社会のニーズをくみ取る感受性を失っているのだろう。
巨額の国家財政支出(金融循環の誘導や公共事業)によって需要創出を誘導して景気循環の波を調整し、経済成長を持続させるというメカニズムははたらかなくなっている。しかも、そもそも国家財政の収入=財源が枯渇しつつあるのだ。
今私たちが直面しているのは、現代文明の構造転換という課題ではなかろうか。世界経済の多数の国民国家への政治的・軍事的分割にもとづく生き残り競争は、地球環境と人類の生存を脅かしている。
言い方を変えれば、今の危機的状況のなかでは対処の方法を見いだせないのだ。しかし、政治家たちは「知ったかぶり」「わかったふり」をし続けている。
対策が容易に見つからないことを率直に打ち明け、市民とともに考える政治家を私たちは求めているのだが。
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