観察者、マキァヴェッリ 目次
考察の射程と視座
1492年から94年
教皇の企み
シャルル8世の侵攻
揺れるフィレンツェ
サヴォナローラの煽動
フィレンツェの政変
煽動者の末路
混迷するイタリア戦線
フランス王軍の快進撃
シャルル包囲網
神聖同盟
喉元過ぎれば…
フランス王の逆襲
権謀の果てに
君主なきイタリア
奮闘するマキァヴェッリ
市民軍の組織化
教皇権力の膨張
共和政の最期
ジョヴァンニの執念
マキァヴェッリの苦悶
社会と権力闘争の観察者
なぜ《君主》を論じたのか
強制力の鎧をまとう威信
君主権力の限界
財政基盤の脆弱性
脆い権力基盤
ブルジョワとの同盟
革命理論としての君主理論
マキァヴェッリと現代
政権党の構造的危機
逃れられない利権構造
失われゆく威信
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揺れ動くイタリア

脆い権力基盤

  王権の統治秩序は、王国の版図から見てすこぶる小さい行財政装置ときわめて貧弱な財政基盤の上に成立していた。それでも、王国内の平和が保たれていたのは、まさに都市・商人団体も含めた貴族連合が王権を支え、かつまた王権の周囲に結集しているかぎりでのことだった。
  絶対王政が成長したバロック時代に、王がオペラや夜会、舞踏会などの豪華な行事を催して宮廷に貴族(商業貴族も含む)を引き寄せたのは、まさに支持基盤を保持するためだった。
  ゆえに、王が貴族連合の多数派や有力貴族たちと分裂・対立したり、貴族連合そのものが分裂・抗争すれば、王権を支える力の均衡はただちに崩壊して王朝はいとも簡単に崩れ去ってしまった。

  たとえば、ヴァロワ朝フランス王国は、マキァヴェッリの没後しばらくしてから、ローマ教会とプロテスタントととの宗派的紛争が絡んで都市=貴族連合が分裂・抗争し、「ユグノー戦争」に突入した。
  そのなかで、ヴァロワ王権は没落・断絶してしまった。そして、混乱のなかからブルボン家が台頭し、やがて有力な貴族連合の盟主となり、覇権を確立し、新たな王朝を構築していった。

  してみれば、世襲の君主王朝とはいっても、統治権の保有の正統性は、まさに君主を君主たらしめている権力構造が安定しているかぎりのことで、それが変動すれば、いとも容易に失われてしまうということだ。
  王権を支える権力ブロックは、地方的な利害や分立を言い立てがちな地方貴族たちや諸都市の同盟であって、利害の争いによって分裂しやすいものだった。しかも、貴族連合の内部では、いくつかの有力貴族の門閥や派閥の力が優位を占めている場合が多い。
  宮廷は、有力貴族門閥が権力闘争と駆け引きを繰り広げるアリーナとなっていたのだ。王権の政策は、宮廷内部の、つまり貴族連合内部の力関係の影響を受けやすい。
  特定の有力貴族が強くになりすぎて王を取り巻く宮廷を強引に牛耳れば、反対派は離反し、分裂抗争に結びつく。
  さらに、王権の統治組織や軍をまかなう財政収入は、王の思い通りになる直轄領からの収入の割合よりも、身分評議会の同意を必要とする徴税や賦課金、戦費割当金などに依存する割合がどんどん増大していく。
  これによって王権は、旧来型の土地貴族よりも、都市の大商人(商人貴族)や商人団体にますます深く依存するようになっていく。
  してみれば、王権は慎重かつ大胆に自分の勢力基盤を補強していかなければならない。
  18世紀まで生き残ったフランスとイングランドの王権の経験から見ると、王権の支持基盤=同盟の軸を、保守派の地主貴族ではなく、商業貴族あるいは商業とコミットしている貴族(つまりは企業家の金持ち)に移していくことが、王権の強化と生き残りにとって不可欠だったということがわかる。

ブルジョワとの同盟

  ここで、マキァヴェッリが都市とコンタードの市民(ブルジョワ)の受容=同意のモメントを、望ましい君主権力の土台に据えたことの意味が浮かび上がってくる。
  君主は、都市の有力市民――富裕商人層や工房組合の身分代表――との利害同盟を打ち立てなければならない。
  ただし、特定の商人家系や門閥、政派と癒着するのではなく、それらの競い合いをうまく利用し、それらの力関係のバランスに配慮しなければならない。
  つまり、理想の君主は、都市における資本主義的経営様式の担い手たちとの利害共同を組織しなければならないのだ。

  歴史上このとき実在したブルジョワとは、この当時、世界貿易・金融を営む都市の富裕商人や商業化した所領経営にコミットした地主層だった。彼らは、もとより「古くからの貴族の行動様式や生活様式をまね、また自分たちの権力の組織形態も旧来の貴族のそれを模倣してきた。
  それがエリートないしは支配階級の行動様式であり、地位を維持し誇示するためのプロトコルでありコードだからだ。
  したがって、この時代をひとまとめにしてに「封建制」という用語で括り、特権的富裕商人を「封建的勢力」と見なす歴史観では、いままで見てきた文脈は読み取ることができない。

革命理論としての君主理論

  それにしても、マキァヴェッリは当時、君主政が最も適切な、安定したレジームであると見ているが、しかしその君主政が1つの家門が持続的に王位を継承する絶対王政であるとは見ていない。
  というよりも、絶対王政は、マキァヴェッリ亡き後、長い試行錯誤を経て偶発的に出現した政体である。
  それゆえ、ある君主個人やその家系がしかるべき統治から逸脱する場合には、政変や革命によってより賢明な君主や指導者によって取って代わられる必然性を認めていることになるだろう。

  君主の目的は、統治権や優越的地位を維持することではない。権力を存分に揮って変革を進めなければならない。その目的のためにこそ、権力を奪取し維持するのだ。権力の保持が自己目的になったときに、君主の正統性は失われるということだ。
  したがって、そこには「しかるべき統治者」となるべく奮闘する勢力・人物が政権を獲得する革命=変革の契機が内在しているように見える。それが、グラムシのヘゲモニー理論の材料となったのだろう。

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