観察者、マキァヴェッリ 目次
考察の射程と視座
1492年から94年
教皇の企み
シャルル8世の侵攻
揺れるフィレンツェ
サヴォナローラの煽動
フィレンツェの政変
煽動者の末路
混迷するイタリア戦線
フランス王軍の快進撃
シャルル包囲網
神聖同盟
喉元過ぎれば…
フランス王の逆襲
権謀の果てに
君主なきイタリア
奮闘するマキァヴェッリ
市民軍の組織化
教皇権力の膨張
共和政の最期
ジョヴァンニの執念
マキァヴェッリの苦悶
社会と権力闘争の観察者
なぜ《君主》を論じたのか
強制力の鎧をまとう威信
君主権力の限界
財政基盤の脆弱性
脆い権力基盤
ブルジョワとの同盟
革命理論としての君主理論
マキァヴェッリと現代
政権党の構造的危機
逃れられない利権構造
失われゆく威信
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揺れ動くイタリア

神聖同盟

  シャルルをイタリア戦線に呼び込んだのは教皇だった。が、フランス王軍の侵攻の衝撃はは、教皇の思惑をはるかに超えて動き出した。
  フィレンツェでは共和政が復活して、教皇とローマ教会を激しく批判するサヴォナローラが主導権を握ってしまった。
  しかも、1495年、ナーポリにはフランス王シャルルが居座って、ローマを含めたイタリア全域の攻略を思案中であるかに見える。教皇領の拡張にとっては、芳しくない情勢になりつつある。
  そこで、教皇アレクサンデルは、フランス王をイタリアから追い出すために、反フランス王同盟――のちに「神聖同盟」と呼ばれる――の結成に取りかかった。

  策謀に長けた教皇は、先頃まで敵対していたヴェネツィアと手を結び、ミラーノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ――イル・モーロと呼ばれたが、これはムスリムの北アフリカ人という蔑称でもあった――の支援さえ取り付けた。
  さらにアレクサンデルは、オーストリア王にして神聖ローマ皇帝位を獲得したマクシミリアン・フォン・ハプスブルクとエスパーニャ王フェルナンドの支援も取りつけた。
  だがそれは、イタリアという「羊の群」が、フランス王という「虎」を追い払うために、エスパーニャ王という「獅子」、そしてオーストリア王という「狼」を自ら草原に呼び込んだのだった。

  だが、フランス王軍の組織と軍事技術はけた違いで、イタリア諸都市の傭兵軍は大半が蹴散らされてしまった。
  とはいえ、フランス包囲網は巧妙に機能した。エスパーニャ王軍がフランスに侵攻を開始した。

  フランスへのエスパーニャ王軍の侵攻の気配を知ったシャルルは、慌てふためいてパリに帰還し、対エスパーニャ戦線の建て直しと王室の権威の回復に努めた。
  フランス王のイタリア戦線は崩れ去り、エスパーニャ王権は、1495年にナーポリを奪回した。

喉元過ぎれば…

  ところで、フランス王シャルルが「アルプスの彼方」に逃げ帰ると、イタリアには外見上、以前のような力の均衡が一時的に回復した。
  そうなると、「呉越同舟神」状態だった聖同盟の内部に亀裂が入り敵対が再燃することになる。
  ヴェネツィアは一方で、トスカーナへの勢力拡張をめぐって教皇とふたたび対抗し、他方ではロンバルディーアとエミリア地方の支配をめぐってミラーノ公と敵対することになった。
  教皇は教皇で、トスカーナとロマーニャの攻略を画策していた。
  繚乱綾なすイタリアを垂涎してねらっていたのがエスパーニャとオーストリアの王権であるのは、言うまでもない。

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