さて、葬儀ののち、フランソワはパリの中心部の繁華街に急いだ。古美術品のオークションに参加するためだ。
オークションの会場では、30代半ばくらいの美女がフランソワを待っていた。名前はカトリーヌ。フランソワの古美術品店の共同経営者だ。
カトリーヌは美貌だが、フランソワとは艶っぽい関係にはない。フランソワはあくまで経営での対等のパートナーでしかないと割り切って付き合っているし、そもそもカトリーヌの恋愛の相手は同性(女性)だけなのだ。
「遅かったわね、フランソワ。待ったわよ」
「ああ、すまん。知り合いの葬儀に行ってきたんだ」
2人はエスカレイターに乗って会場に向かった。
何だか格調高い古美術品のオークションのようだ。
入札希望者の席はすぐに満席になった。電話での入札もできるようで、オークション業者のテイブルには何台もの電話が列をなし、どの受話器にも担当者が張りついていた。
競りが始まった。絵画や彫刻などが次々に競りにかけられていく。
そのうち、出展が取り消しなった絵画に代わって、大きな陶製の壺が展示台に乗せられた。口の直径は60センチメートル以上、高さは80センチメートルはありそうだ。
主催者が出展品の説明をする。
「古代ギリシアの紀元前5世紀の陶製の壺で《友情の壺》と呼ばれるものです。
側面には、《イーリアス》に登場するアキレウスとパトロクルスの絵が描かれています。
壺の製作を発注した者は、親友が死去したことを深く悲しみ、そこに自分の涙をいっぱいにためて、親友の墓の傍らに埋めたといわれています。
では、入札額は2万ユーロから始めましょう」
人気がある有名な壺らしく、またたくまに競り値は5万ユーロを超え、10万ユーロに達した。
フランソワは壺に何やら強い魅力を感じたらしく、強気で競りに参加していった。そのうち「何としても壺を手に入れたい」とむきになった。カトリーヌがフランソワを止めようとしたが、競り値の吊り上げをやめなかった。
15万ユーロを超えると、入札者の数はいっきに減った。それでも競り合いは続き、1万ずつ競り値は上昇していく。競り値が上がるたびに入札者は減っていって、ついにフランソワと初老の紳士との2人になった。
その紳士が19万の声を上げたとき、すかさずフランソワは「20万」と叫んで、落札した。競合者は、20万ユーロという額を聞いて諦めたようだ。
ところが、あまりの高額のせいか、会場は一瞬静まり返った。
20万ユーロは、当時のレイトで約3000万円超。売れる見込みがなければ、相当に危険な投資、いやむしろ大きなリスクがともなう投機=大ばくちである。
しかも、実際の支払金額は、手数料や付加価値税、さらに運賃を含めて22万8700ユーロ。大変な金額だ。
オークションからの帰り道でカトリーヌがフランソワを問い詰めた。
「ねえ、売れる見込みがあるの? あんなに大金をはたいて。
運転資金が逼迫して、店の経営が圧迫されてしまうわ。銀行だって融資にさいして(信用貸しで)厳しい態度に出るわよ!」
「あの壺は俺自身のために買ったんだ。まあ、衝動買いだ。誰にも売らない。資金繰りは大丈夫、何とかするよ」
「あなたがあまりに高額な買い物をするから、私はほしいものを入札し損ねたわ。1930年代のアール・デコ調のランプを」と嘆息した。
けれどもフランソワは軽く受け流してしまった。壺を手に入れた高揚感に浸っているようだ。負けず嫌いで自己中心的な性格がそのまま入札で発揮されたのだ。