■フランソワ■
ところで話を戻して、この作品でのフランソワのパースナリティについてだが、それほど自己中心的で他人に冷淡な人物として描かれていただろうか。
私見では、「フランス人」というのは通常あんなものではなかろうか。ことさらに冷淡だったり、自己中心的な人物ではないように思う。
むしろ、突然「友情の大切さ」に目覚めて、仕事付き合いのある知り合いや仲間を訪ね歩くところを見れば、かなりウェットな性格で、かなり温かい性格に見えるのだが……。
逆にカトリーヌをはじめとして、彼に対して「他人に冷淡だから友だちなんかいない」と突き放した意見をぶつけてきた人たちの方が、ずっとドライで他者に冷淡なように思えるのだが。
それに、カトリーヌが誕生日ディナーでフランソワに突っかかったのは、彼にもっと自分に関心を抱いてほしかったからだということが原因だったという。つまりは、カトリーヌの態度に関して言えば、その方がよほどに自己中心的な物言いである。普段突っ張っていて、その内面に踏み込めないように振る舞っている態度の方が問題ではないだろうか。
そして、フランソワは顔立ちは「強面(こわもて)」に見えるかもしれないが、他人と適切に距離を保ちながら紳士的に振る舞っている。別段「冷淡」というほどではない。
たしかに前の妻とは離婚し、今の恋人に対しては、距離感を縮めようとしていない。その意味では冷淡ともいえる。しかし、離婚紛争を経験したから、女性と距離を保つことが「平和」や「平穏」の条件だと学んだのかもしれない。
してみれば、制作陣としては、フランソワをそれほど「冷淡」で「自己中心的」な人物としては描こうとしていないわけだ。だがしかし、周りの人間たちからは、「辛い評価」を受けやすい人物として――意図的に――損な役割・外観の人物として描いているように見える。
■ブリュノ■
他方でブリュノの人物像についてはどうか。
彼は、どんな初見の相手にも親しげに話しかけ、会話に入っていくことができる。臆することもないし、構えることもないように見える。
だが、物語が進むにつれて、周囲の人間や客と親しげに会話し、やたらに物事についての蘊蓄を傾けたがるけれども、それがブリュノの個性的な自己表現=自己主張であって、むしろ他者との距離を保つための態度である側面も見えてくる。
元妻と幼なじみの親友に裏切られ傷つき、緊張する場面では豊かな知識を引き出すことができない弱みをかかえている。そして、今、彼にも「仕事仲間」は大勢いるが、「友人」「親友」はひとりもいないことがわかる。
だからこそ、親しくなったフランソワの騙し打ちのような態度に腹を立て傷ついたのだ。
そこには、誰にでも穏やかに親しげに話しかけるけれども、本当の心のうちや気持ちを表現できない、自分の周りに障壁をめぐらせて一定の距離以内には近づけさせないという心性が現れている。誰にも振りまく愛想の良さや親しげな口調は、誰とも等距離で付き合うがゆえに、オールラウンドだけれども「それだけ」という人付き合いの手法であるかに見える。
ここで、はじめにそう見えたフランソワとブリュノの人物像のコントラスト(明暗)が逆転する。まるで「メビウスの輪」の上を進むようだ。
あれ、制作陣に一杯食わされたかな?と思うようになる。
というわけで、物語の細部の文脈が最後まで読めない。じつに不思議な作品だ。
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