フランソワの「裏切り」のあと、ブリュノは頑なにフランソワの接近を拒否し続けた。電話をしても出ない。いつも待機しているタクシードライヴァーのたまり場にもいないし、いつもの客待ち場所でも会えなかった。
収入を得るためにブリュノはいまでもタクシー業を続けていて、いつもの客待ち場所で待機しているのだが、フランソワが近づくとブリュノは車を出してしまうのだった。
誰にも愛想よく接するブリュノなのだが、そういえば彼にはひどく孤独の影がある。柔らかいうわべの背後に、何やら心の底からの他人との交流を拒んでいる姿勢が見える。
自分のせいでそうなったのか。フランソワは心が痛んだ。
心配のあまり、フランソワはブリュノの両親の家を訪ねてみた。そして、両親に息子の生い立ちや最近の様子を尋ねてみた。
■クイズ蘊蓄オタク■
両親によれば、・・・
ブリュノは幼い頃からクイズが好きで、細部にわたる知識、博物学的知識に対して強い欲求があったという。テレヴやラディオのクイズ番組を片端から視聴して問題の出し方や答えを覚えていった。やがては、自分でクイズ問題と正解をつくるようになった。
知識を得るために、百科事典や専門書、参考書を読み漁ったという。
とにかく幼い頃から彼の知識欲求は強くて学校の成績は良かったのだが、極端な緊張症だった。
その欠点が如実に出たのが大学入学試験(バカロレア)だった。試験場であがってしまって、いつもなら簡単に出せる答えが書けなかった。そのため及第できなかった。
バカロレアは大学(学部)入学資格を取るためのフランス全国一律の共通試験で、合格して入学資格を取得すれば原則的に自分が希望ないし居住する学区の大学に入学できる。ただし、学生の割り振りは成績順におこなわれるので、人気の高い「有名大学」「優良大学」あるいは医学・法学などの人気学部に入学できるのは、一握りの成績上位者だけだ。
とはいえ、この学部=普通大学課程 univaersités ではどこも原理的にはレヴェルが同じで、大きな学歴格差はないことになっている。だから、かつてのパリ大学の名門学寮ソルボンヌは今ではさほどの名門ではない。
エリート職種に就くうえでの学歴格差は――神学と医学以外では――普通大学とは別に設定されたエリートコース――国立行政学院や国立工兵学院などのグランゼコール Grandes École)によってつけられる。とはいえ、グランゼコールは博士課程ではないので、博士学位は授与されない。学位のためには普通大学の大学院に進むことになる。
学歴を獲得できなかったために、ブリュノはひどく落ち込んだという。
それで、タクシードライヴァーになったが、その後も知識への強い欲求は持続して、クイズオタクとなった。「神は細部に宿り給う」という信念があるのか……知識そのものでは大学教授並みのようだ。クイズ番組をテレヴィで見れば、誰よりも速く正確に答えを出すことができる。
そのため、クイズ番組の出場オーディションには何度も応募した。だが、面談審査であがってしまって、正解が出せずに出場資格を得ることができなかった。
「クイズ・ミリオネア(優勝者には100万ユーロの賞金が出る番組)」にも何度か応募した。しかし結果は同じだった。
不思議なことに、ブリュノは審査の面談では、正解の周辺の知識・蘊蓄についてはスラスラ容易に引き出せるのに、正解自体が答えられなくなってしまうのだ。つまりは、脳の作用では正解に行き着いているのだが、緊張症のため、脳はその正解部分だけに蓋をして正答を言うという行動を封じ込めてしまうのだ。
ものすごく優秀な人で、普段は難問に簡単に答えられるのに、ある状況で問題を出すとその状況によるプレッシャー・緊張でしどろもどろになってしまうのだ。私も、そういう人を見たことがある。不思議だが、そういう精神的傾向の人はいるのだ。ある意味では優秀すぎて、脳が行動に縛りをかけてしまうのだ。
最近、クイズ・ミリオネアの面談審査に立ち会った審査員の1人は、過去にブリュノの面談審査をした経験があった。その審査でもブリュノ結果は同じだった。落胆して帰っていくブリュノの後ろ姿を見ながら、その審査員はもう1人の担当者に言った。
「彼は本当はどんなクイズの答えも知り尽くしているんだ。だけど、緊張のあまりあがってしまい、正解だけが言えなくなるんだ。
この面談審査であれほどカチカチになるんじゃ、テレヴィカメラの前で観覧者や視聴者を意識したら、もうどうしようもないだろうね。残念だよ」
ブリュノの両親はフランソワにこう告げた。
「頭はすごくいい子なんだが、何しろひどい緊張症で学歴も仕事も思うようにならなかった。かわいそうに」
■妻との離婚のいきさつ■
フランソワはさらに尋ねた。
「私がいけなったのだが、最近彼を傷つけてしまって、それで会ってもらえなくなってしまったんです。しかも、その後も頑なに拒絶されてしまって。ブリュノはどうしたのでしょう」
両親の答えは意外なものだった。
「いえ、人との交流を拒絶しているのは、あなたのせいではないんです。
先頃、妻と離婚したんですよ。妻が浮気をしたんですよ。
しかも、相手はすぐ隣に住んでいる幼なじみの親友だったんです。その親友が妻と一緒に逃げてしまったんですよ。
息子はひどく傷いついてしまい、それ以来、自分殻に閉じこもってしまい、人と会わないようになってしまったんですよ」
妻と親友に裏切られていて深く傷ついていたところに、フランソワがつまらない賭けのためにブリュノを騙して、最後の「とどめの一撃」を加えてしまったわけだ。
そんなブリュノに対する償いとして、フランソワはテレヴィ局の取締役に頼み込んで「クイズ・ミリオネア」に出場させるように計らったのだ。もちろん、そういう背景はすべて伏せて、自然に出場生資格を得たような流れにして。
とすれば、もちろん、ドゥラモントやテレヴィ局の制作陣にはブリュノの性格(緊張症)のことは話してあるのだろう。