というわけで、20万ユーロの壺を失いたくないという欲のためか、それとも自分が冷淡で他人に関心がなく友だちもいないと評価されていることが悔しくて、その評価をひっくり返そうとする見栄のためか、フランソワは張り切って「真の友人探し」を始めた。そのために、20人ほどの親友リストを作成した。
もちろん、フランソワとしては、リストに載せた人物たちは当然、彼の友だちであるはずの人物たちだった。だから、彼らにあたって友情の確認をすれば済むはずだと考えていた。
そこで、名簿の筆頭に名前を書いた相手を訪ねることになった。同じ古美術商のジャックだ。フランソワはジャックの店に赴いた。
「やあ、久しぶり。最近はどうだい、元気かい?」とフランソワはジャックに親しげに問いかけた。
だが、ジャックの返事はすげない。
「何の用だい、急に訪ねてきて。それに、俺の健康を気遣ってくれるなんて、何かあったのか?」
取りつく島もないほどにビズネスライクな態度。
「いや、君と俺は年に何度も一緒に食事をする仲じゃないか。だから、友だちだろう」
「友だち!?
君と俺とは友だちなんかじゃないさ。出し抜き合っている商売敵でしかないよ」
話は噛み合わない。
あげくのはてに、フランソワの愛想のよい態度を勘ぐって、借金の申し込みをするためだと勘違いしてしまう。
ところで、この2人の関係についてのそれぞれの意識というか位置づけの決定的な違い――ギャップというには大きすぎる落差――は、どういうことなのだろうか。
フランソワとしては、ジャックをそれこそ親友とさえ思って信頼している。ということは、フランソワはとんだ「お人好し」で、相手の友情を無条件に期待、信頼している。だから、もしこんな賭けさえなければ、フランソワにとってはジャックは親友であるという思いのまま時は過ぎていったはずだ。
それはそれで、フランソワにとっては幸福なことだっただろう。
ところがしかし、ジャックの評価は辛辣だった。彼はフランソワをビズネスマンとしては手堅い相手と信頼してはいるが、それだけにシヴィアな競争相手として意識しているのだ。友情の相手ではなく、警戒すべき競争・対抗の相手でしかない。
ということは、フランソワ自身は意識していないが、フランソワは相当にしたたかな古美術商で、ジャックから見れば対抗心をむき出しにするほどに妬ましいほどの成功者ということになるのだろうか。
商売をめぐっては優位に立っているがゆえに、フランソワはジャックに好印象を抱いているが、劣位を感じる者から見れば、フランソワは友情を感じるには危険すぎる相手だったのだ。
ジャックの冷淡な対応に戸惑い失望しながら、その後もリストに載せた相手に電話をしてみたが、誰の反応もおしなべて冷たかった。要するに、仕事上の付き合いで、友情の相手ではないというわけだ。