……で、その日の夕方――時間の経過については描かれないので、たぶん――フランソワは約束のディナーに急ぐために、街頭でタクシーを拾った。運転手は気さくな男性で、笑顔で語りかけてきた。
「ぼくは、ブリュノ・ブーレといいます」彼は自己紹介した。
そして、パリの中心街の道案内や歴史に名を残した場所を説明し始めた。歴史の薫風が漂うパリのタクシー運転手は、観光案内に巧みなのだ。とくに歴史には深い造詣があるようだ。
「エッフェル塔の設計者の名前なんですが……彼はもとはドイツ人でフランスに帰化して改名してエッフェルになったんだけれど……。
ああ、あそこの通りの奥がクロショ16番地で、ルノワールが住んでいて……。あそこがカフェ・クロワッサンで、ジョレスが暗殺されたんですよ」
じつに詳細に説明する。
だが、パリの大通りは車で渋滞していて進めない。フランソワは焦りだした。それで、ついにタクシーを降りて歩いてレストランに急ぐことにした。
さて、レストランではカトリーヌや知り合いたちがフランソワを待っていた。今日はフランソワの誕生日なのだ。カトリーヌは、フランソワが古代ギリシアの陶製の壺を衝動買いしたことをディナーの参加者に愚痴っていた。
「だいたい《友情の壺》なんてものは、フランソワのように友人のいない人物には不似合いのシロモノだ」と。
そこに遅れてしまったことを詫びながら、フランソワがやって来た。
食事が始まって酒も回った頃合い、フランソワはその日の朝に参列したブルゴワン老人の葬式を話題にした。仲間たちは「ああ、あの偏屈な老人は辛辣でわがままだから、嫌われ者だよ。葬儀に立ち会うやつなんかいなかっただろうね」と言い出した。
フランソワは相槌を打った。
「ああ、会葬者はたった7人さ。さびしい葬儀だったな。俺は仕事の絡みで参列したんだがね」
そこにカトリーヌが絡んできた。酔いが回ってオークションについての不満が噴き出てきた。
「あなたが友情の壺なんて、あきれるわ。だいたい、あなたには友だちなんかいないでしょう」
フランソワは気色ばんでで反論する。
「何を言う。ぼくのスケデュールは、2週間先まで誰かとランチをともにする予定が入っているんだ。友だちなんかたくさんいるさ」
「私が言っているのは『本当の友だち』のことで、ランチの相手なんかじゃないわ。あなたは、自分以外の人間には関心がないじゃない。そんな人にともだちができるはずがあるもんですか!」
論争に男性2人が割り込んできた。
「いや、フランソワ、君には本当の友だちなんかいないさ」
フランソワが反論すると、別の1人がさらに追い撃ちをかけた。
「フランソワ、君には友だちがいない。君の葬儀に顔を出すやつなんか、1人もいないさ」
知り合いたちのあまりな酷評に憤慨したフランソワは、「そんなら賭けをしよう。今月中に君らにぼくの親友を紹介しよう。
もしできなければ……、君は何を賭けるカトリーヌ!?」
「あの友情の壺を賭けるわ。あなたが賭けに勝てば、壺はあなたのもの(代金をカトリーヌや仲間が払うということ)。
負けたら、あの壺は私がもらうわ(代金はあなたもちで)」
何やら、行きがかりで、奇妙な賭けが始まった。