現時点でこの映画を観ると、4分の1世紀も前の時代の状況ということで、このような事件は冷戦構造という特殊な世界秩序のなかでこそ発生しえたものだとつくづく思います。
アメリカ合州国とソヴィエト連邦とが、それぞれのレジームの指導的国家として、軍事、価値観=道徳、経済などで優位を競っていた……かのように見えた独特の時代背景。
しかし今、ソ連と東欧の「社会主義レジーム」が完全に崩壊してしまい、しかも冷戦時代のこれらの諸国家の悲惨な現実が白日の下にさらけ出されてきました。内実は、とてもとても西側に対抗できていたと言えるほどのものではありません。
滅亡をかろうじて回避してきたというのが、実情でした。東側の圧倒的劣位は明白です。
今となっては、冷戦構造は実は「上っ面だけの虚偽イデオロギー」「あいまいな共同主観」でしかなかったと認識できます。
というのは、1960年代半ばには、ソ連東欧の経済は破綻していて、崩壊に向かって歩み始めていたからです。
ソ連東欧は、さなきだに民生部門を犠牲にした経済でしたが、さらに軍事への偏重を強制したわけです。疲弊の加速・累積が起きたのです。歪みは極限まで達しました。
政治的・軍事的独裁レジームは、過剰武装をともなう虚構のイデオロギーをともないながら、1980年代末まで生き延びました。
とはいうものの、その虚偽意識、虚偽イデオロギーが世界中のいたるところでの軍事や政治、経済、文化・科学技術などの動きを制約し、あるいは駆り立てていたことも事実です。
世界中の政治や経済、文化のかなりの部分が、つまり多くの一般民衆も、「冷戦のメロディとリズム」に合わせて踊り続けていたのです。
いずれのレジームでも、人びとは敵の脅威=「妖怪の影」に脅えて自己抑制し、あるいはその脅威を利用して、うまうまと独特の権力や利権構造、権益の構築や確保にいそしんでいたのです。
その中核には、アメリカやブリテン、フランス、日本など、先進諸国家を横断するように存在する軍産(原子力)複合体の利権があったように思います。
結果論から言えば、西側が勝ったわけですから、「冷戦競争」に勝った側、とりわけ合州国の最優位、権益の増幅に役立つように、諸国家は、そして人びとは踊らされていた、あるいは自ら望んで踊っていたということです。
しかし、一番の踊り手はソ連だったような気がします。つまり、アメリカのヘゲモニーの強化に、まるで共犯者のように手を貸した、というように見えます。