1984年11月、北大西洋ローレンシア海溝の北端近くでソヴィエト連邦の原子力潜水艦2隻が突然に消滅しました。
1隻は魚雷による撃沈、もう1隻は文字通り原因不明の消滅。
同じ年の10月23日、スカンディナヴィア半島の東端の付け根近く、ソ連領ムルマンスクの北方、ポリャルヌィ水道を、1隻の巨大な原子力潜水艦がバレンツ海に向けて出航しました。
艦の全長およそ210メートル、第2次世界戦争時なら弩級戦艦クラスに相当する大きさ。現在でも大型巡洋艦クラスの巨大な艦体。
艦の後方にある突起塔(セイル)の前方には、2列の核ミサイルサイロが20基以上並んでいます。普通のタイフーン級よりもはるかに大きな艦体です。
潜水艦の名前はクラースヌィイ・オクチャブリ(赤い十月:以下、レッドオクトーバーと呼ぶ)。
艦長は、ソ連海軍潜水艦アカデミーの校長、マルコ・ラミウス大佐、副長はボロディンで、おそらくソ連海軍潜水艦の指揮官としては最高のコンビです。
この艦には、この2人の指揮のもと、アカデミーをトップクラスの成績優秀者として修了し、ソ連の潜水艦に配置されていた精鋭のエリート士官たちが集められていました。
この大型潜水艦がバレンツ海に向けて出航する動きは、ソ連の艦隊基地を探索する合州国軍事衛星によって捕捉されました。同時に、ポリャルヌィに潜む西側情報員やノルウェイ海に配置されたNATO組織によって察知されています。
情報はただちに合州国のペンタゴンと安全保障担当機関に送られました。
同じ頃、ノルウェイ海をアイスランドに向かって潜航するアメリカ海軍の原潜がありました。ロサンジェルス級のダラス、艦長はマンキューソです。
その日の夕方、ロンドンで海戦史を研究しているジャック・ライアンはラングリーからの緊急呼び出しを受けました。
ポリャルヌィで確認された巨大原潜がアメリカの安全保障を脅かすかもしれないので、急遽対策の検討が必要になったため、ただちにCIA本部に戻れ、という指令でした。
ライアンは、CIAに所属する戦略・軍事アナリストで、海洋軍事史、および海洋兵器の歴史研究第一人者。
彼はその夜、ヒースロー空港から大西洋の反対側に飛ぶ旅に出ます。
ところがこの旅は、ライアンを北大西洋での危機的な政治的にして軍事的な冒険に導くことになります。
ライアンは、真夜中の旅なのに飛行機内では眠ることができません。というのは、航空機の揺れは、海兵隊時代の悲惨な事故を脳裏に呼び起こすかららしいのです。
若き海兵隊員だったライアンは、地中海での軍事訓練中、搭乗していたヘリコプターが墜落し瀕死の重傷を負いました。
生存者は彼1人。
何度もの手術の結果、かろうじてライアンは命を取り止めたましが、半身付随状態が10か月間続き、その後苦痛に満ちたリハビリを続けて、1年後立ち上がり歩くことができるようになりました。
その間に、大学院の修士課程を修了し、その後博士号を取得しました。今は、CIAの上級研究員=アナリストとなっています。
CIA本部に到着するやライアン博士は、海洋安全保障問題の責任者、グリーア提督から、いっしょに大統領府での緊急会議に参加するよう指示されます。