《サンジャックへの道》は、現代フランスが抱えるいくつもの社会問題や個人の悩みを映し出しながら、中世以来の巡礼の道をたどる物語である。
仲たがいしたピエールとクララ、クロードの3兄妹弟は、それぞれの思惑があって巡礼の旅に出る。
長い巡礼旅は、旅の参加者がそれぞれ抱える離婚やら移民系ムスリム青年の悩みやら教育問題を巻き込みながら進んでいく。
サンジャックへの長い長い旅に参加した面々。個性や人生観をぶつけ合いながら、声をかけ合い、言葉を交わしながら、およそ1600キロメートル、2か月以上におよぶ難路の旅を続ける。
ことに、ピエールとクララ、クロードの3人は、フランス・エスパーニャ国境までの遍路で遺産相続条件を満たしたにもかかわらず、そのあとも何かに惹かれるようにエスパーニャの旅を続ける。
「旅の仲間」として知り合った者たちは「兄弟姉妹」で、兄弟姉妹は助け合うものだ。それが3人が学んだ人生観だった。
一方、移民第2世として不遇をかこつラムジは、クララのおかげでフランス語のリテラシー――読み書き会話能力――を学ぶ機会を得た。だが、旅の終わりに最愛の母の死を知る。
人びとは苦難に満ちた旅のなかで、何かを投げ捨て、あるいは失いながら、人生の糧となる何かを得ていく。
物語はこう始まります。
ピエール(兄)、クララ(妹)、クロード(弟)の老母が死去しました。100万ユーロの流動資産と70万ユーロの価値を持つ南フランスの別荘――遺産総額は約2億5000万円――を残して。
ところが、老母は不仲の3人に遺産を遺贈するつもりはなく、遺産をそっくりすべて慈善福祉団体に寄贈すると遺言しました。
なにしろ険悪な仲の3人が集まると、口論諍いはまだましな方で、つかみ合い殴り合いの大喧嘩が始まるのです。彼らに遺産を相続させようものなら、遺産の分配をめぐる争いが起きかねないと思ったのでしょう。
しかし、老母は遺言の執行(慈善団体への寄贈)を解除して3人に均等に遺産を分配することもできるように付帯条件(制限条項)を付けました。
その付帯条件とは、3人が仲良くそろってルピュイからサンジャック・ドゥ・コンポストゥル(サンティアーゴ・デ・コンポステーラ)までの巡礼の旅をなしとげたら、というものでした。
ピエールは大手電気機器製造会社の社長だから大金持ちです。母の遺産よりも2ケタも多い資産をもっています。
だから、毛嫌いしている妹や弟といっしょに旅行するなんてまっぴら、遺産なんかいらない、と突っぱねました。
クララは公立の高等学校の教師で、フランス語文法の指導にかけてはきわめて有能なのですが、宗教、とりわけフランスで支配的なローマカトリック教会には強く反発しています。
巡礼なんてものは中世の迷信から始まったもので、胡散臭いローマ教会が後ろ盾になっているから、行きたくないというのです。
しかし、夫が失業中で、ローンの支払いや2人の子どもの教育費のためには遺産を受け取りたいので、仕方なく参加するしかないと覚悟を決めました。
末弟のクロードは「ごくつぶし」です。ピエールとクララが激しく対立する家庭を早くに逃げ出したのですが、その後50歳を過ぎた今まで一度も職業に就いたことがないのです。
失業手当をもらい続けて生きてきました。「ヒモ」のような立場で結婚しましたが、妻には離婚され、兄や姉からは軽蔑されているのです。
なにしろ、巡礼の旅の出発点までの交通費がなくて、別れた妻と暮らす娘に小遣いをねだるありさま。「まあ聞いてくれ、遺産が入るから、そうしたら返すよ」と言い訳しました。
ですが、断られました。とはいえクロードは、遺産が入るとなれば、どんな冒険にも乗り出すつもりでした。ただし金をかけないで。
さて、仕事中毒で金儲けばかりに熱中してきたピエールは、運動不足でコレステロール値や血糖値が異様に高く、巡礼なんかに耐えられないとゴネました。が、なき母の慰霊のために長兄として参加するしかないと公証人に脅されて、仕方なく参加する羽目になりました。
こうして、クララが長い休みを取りやすい夏休み(6月〜8月)に巡礼旅の日程が設定されたようです。