ある日、クララはラムジと道連れになりました。で、カミユやサイードには内緒だという条件で、少しずつ時間を取って教えることになりました。
彼女の方針では、まず会話の内容や形を豊かにして整えることを優先しました。俗語やスラングや若者言葉ではなくて、エリートが雇用や人事評価にさいの選別のために求めてくる「上品な会話」「正しい規則にのっとった会話」を教えることにしたのです。
就職や就学のさいに高い評価を得るための、文法通りの会話を。
俗語に対しては「雅語」を覚えさせました。「つら」ではなく「顔」とか「かんばせ」。「かあちゃん」ではなく、「おかあさま」「母」というふうに。
次いで、新聞や雑誌、書籍のなかで使われている「書き言葉」の単語や構文、熟語を学ばせようとしました。
やってみると、ラムジの飲み込みは早かったのです。文字を読めない人は、それを補うためにか、聞きとりながら覚える能力がものすごく発達しています。メモができないから、生きるために独特の記憶力を持つようになったのでしょう。
会話での文法がある程度できるようになってから、さらに、単語の綴り方法、母音・子音の組み立て、読み方を学ばせました。
歩いているのは田舎道ですが、巡礼遍路の傍らには道路標識や集落の表示、墓地の墓碑や記念碑などが現れてきます。そのたびに読みと意味を学ばせるようにしました。
こうして、ラムジはリテラシーの基礎を獲得していきました。理解が進むと学習意欲は高まるものです。言葉の習得は、自分の世界の拡大、つまり自己の拡大成長につながるようです。そこそこ大きな集落を通り抜けるたびに、ラムジは店の看板や新聞スタンドの見出しを興味深げに眺めて、知的情報を集積していきました。
すばらしい学習能力と意欲です。
当然、会話での言葉使いも変わってきました。
道連れグループの全員が、しだいにラムジが文字を読み書きできるようになったことに気づいていきます。文字による情報の獲得は、ラムジにとって〈世界〉の獲得だったのです。