このところ、サンジャックへの道に挑む参加者は多くなっています。まして夏休みとかヴァカンス・シーズンともなれば…世界中から巡礼者たちがやって来ます。
巡礼旅の有力な出発地ルピュイでは、毎日、巡礼の参加者たちは、遍路旅の出発点となっているノートルダム修道院で、出発者たち全員が司教や修道女たちから「神の祝福」を受けたり安全祈願をしてもらったりしてから、旅立ちます。
聖堂の出口には、巡礼の旅にさいして一番の願いごとを書き入れるメモ用紙が置いてあります。
サイードは、カミユに自分の思いが伝わるようにと書き入れたのち、ラムジから頼まれたように、フランス語が読み書きできるようになりますように(失読症が治るように)などと書き加えました。
クララはカトリック教会も迷信、まして神への祈願は毛嫌いしてきました。ですが、巡礼への旅立ちということで何やら敬虔な気持ちになったようで(あるいは藁にもすがる思いか)、「夫に仕事が見つかりますように」と記入しました。
内実はともかくとして、現代社会の風潮として、個人主義を徹底する市民社会の論理とか自己主張することが常識として教育されて育ち、本能のように身についているフランス人たち。それが9人何か月もいっしょに旅をするのです。個性や好悪の感情、悩みや言い分をぶつけ合う道すがらとなるのは、いわば必然の運び。
だから、旅程が進むにつれて、ぶつかり合いや対話・論争が繰り広げられます。そのなかで、参加者の個性や発想スタイル、家族関係とか抱えている悩みなどが明らかになっていく、という物語の仕かけになっています。
なにしろ現代フランスに生きる人びとの長旅です。
あれにも対策、これにも対策、快適さや便利さを求めるためのグッズをつい盛りだくさんにバッグに詰め込むことになります。一方で「日常性からの脱却」とか言いながら、他方では日常の快適さや便利さをもち込もうとする現代人のセンス。
だが、引率者ギュイによれば、ザックの荷物はせいぜい体重の5分の1までにしておくように、ということです。それより重いと歩きが辛くなるのです。
そのことは、事前に渡した巡礼案内・手引書にも書いてありました。けれども、それを守るのは、旅慣れたごく少数者だけのようです。
一番大きくて重い荷物を背負いこんだのは、大金持ちのピエール。
パソコンやら衛星電話やら装身具や薬剤…で、荷物の重さは、体重の半分以上になっているようです。
だから、ルピュイ聖堂を出てから間もない山岳に向かう坂道で、早くもへばってしまいました。
それで、携帯電話でロベールを呼びつけて、車に荷物を積み込もうとしました。
それを見ていたクララが、「この恥知らず、意気地なし!」と罵って平手打ちを食わせました。怒ったピエールは反撃して、つかみ合い取っ組み合いの大喧嘩になってしまいました。
あわててギュイが駆けつけて止めに入ったのですが、不運にもピエールに殴られてしまいました。
憤激したギュイが怒鳴り散らして兄妹喧嘩を静めました。
やれやれ、経験でおごそかな巡礼の旅なのに、最初からトラブルで、先が思いやられます。