天候が荒れ模様を示そうとしているある日の夕刻、一行は裕福そうな町に到着しました。
しかし、これまた夏の夕暮れの頃で時刻は遅くなっています――午後9時ないし10時近くでしょうか。巡礼のための宿泊所は満員になっていました。
宿泊所の係の案内で、教会の司祭に宿を頼むことになりました。司祭は金持らしく広壮なコンドミニアムに住んでいるということです。
だが、司祭は巡礼者の来訪を知っても、二階から玄関まで降りて来ようともしません。窓から顔を出して、宿の手配の頼みをにべもなく断りました。
快適で瀟洒な自分の住居に薄汚い巡礼団を受け入れるつもりはないようです。
教会の原則では、聖地への巡礼者は手厚くもてなすはず。なのに、迷惑顔を取り繕うともしません。
その代わりに、老朽化した小学校の扉の鍵を放り投げてよこしました。廃校になった校舎に泊まれ、というのです。
「魂の救済」よりも財テクの方が向いている司祭なのでしょう。辣腕の財テク専門家が総本山のヴァティカンに結集しているのですから、あながち彼ばかりを責められませんが。守銭奴のような強欲な司祭が集めた資金のなかから教皇庁に上納すべき教会税の学が大きいほど、司祭としての勤務評定もまた高くなるのです。
つまり、教会組織内での昇格が速くなるのです。そうなれば、金をもたない巡礼者には冷たく、金払いのよい金持ちには温かくなるのは、人の性です。
さて、ギュイの一行が学校に着く前に、激しい雷雨がやってきました。
夏でも山岳部では、雷雨がくれば寒くなります。しかも、廃校舎には暖房装置がないのです。
ところが、ようやく一行がボードや黒板を敷いて寝る場所を整えているところに、大男3人の巡礼者がやって来ました。
彼らも、宿泊所と司祭から追い払われて来たらしいのです。
巡礼者は相身互いということで、場所を分け合って寝場所を確保しました。
疲労した大男3人組は、すぐに寝入ってしまいましたが、鼾がひどい。
ピエールやクララ、ギュイたちは眠れません。しかも寒い。そこで、彼らは体を動かそうとして、ラディオの音楽に合わせて踊り始めました。
大男たちも目を覚まして、いっしょに踊り回りました。そして、全員が体が温まり、踊り疲れて、ぐっすりと寝入ることができました。
ここまでは、フランスの聖職者たちをめぐる話題です。
ところが、偏見と俗念に固まった、もっとひどい聖職者の極めつきは、エスパーニャ国内にいました。
このイヤなヤツを紹介する前に、フランス=エスパーニャ国境でのできごとを見ておきましょう。というのも、そこで、ピエールやクララたちの(人生観や兄妹弟関係の)変貌が描かれるからです。
ピレネー山脈の峠を越えればエスパーニャです。そして、この山脈が最大の難所なのです。なにしろ標高3000メートル超える高峰が並んでいるのですから。もちろん、巡礼の峠道は谷間を抜けるのですが、それでも標高1200メートル前後にはなるでしょう。
⇒巡礼旅のコース(グーグルマップ)