ピレネー山脈の峠を越えればエスパーニャです。そして、この山脈が最大の難所なのです。3000メートル級の山岳が続いています。
ウェブで西仏国境のピレネー地方の地図を見てください。できれば、サンティアーゴ・デ・コンポステーラの巡礼地図も。サンティアーゴ巡礼の道がいかに険阻な山道かわかります。
インストラクターのギュイは、ルピュイからロンスヴォーに続く道を山脈のふもとで曲がって、トゥールーズからジャカ(西語でハーカ)にいたる道をたどったのかもしれません。その場合、フランス最後の宿駅は、たぶんオロロンでしょう。
とにかく、そこが、ピエールたちの母親が遺言書で3人兄妹弟が歩いて到達するべき目的地と定めた場所のようです。
そこに一行はたどり着きました。ギュイは言います。
「あなたがた3人は、本当はここまでで終わりです。これで、遺産を相続できますよ。お母上は、ここが本当の終点と書き残してあります」
というわけで、3人は一瞬、やれやれこれで苦難も終わった。母親孝行もできたし、遺産相続もOKだ。と一安心です。
3人は、一行と別れを惜しんでから、市街地の駅の方に向かって歩き始めました。
ところが、10歩も行かないうちにピエールは立ち止りました。そして、踝を返しました。
「あら、巡礼旅に戻るの?」とクララ。
「兄さんは、サンジャックまで歩き続けるのが親孝行だとでも言うのかい?」とクロード。
「そうだ。悪いか!
俺は今まで、自分でやりたいと思ったことを最後までやり通したことがない。都合や理由(金儲けのためという理由)をつけて、いつもやりたい望みを諦めてきた。今度くらいは、最後までやり抜くぞ。
クロード、お前は弁舌さわやかで女あしらいもうまい。うまくやってきたさ。
ところが、今の俺には酒浸りで自殺衝動に取りつかれた妻しかいないんだ。
今度こそ、俺は自分がやりたいようにやる!」
と啖呵を切って、巡礼の道に戻っていきました。
金はあっても、自分が望むものは手に入らなかったというのでしょう。いや、金持ちになり企業間競争で生き残るために、自分の個人的な望みは抑え込んできたということでしょうか。してみれば、妹や弟への反感は、違う人生を歩んできた妹弟への羨望、あるいは自己嫌悪の裏返しだったのかもしれませんね。
クララもすぐ後を追いました。ラムジのことが気がかりだし…。
クロードも戻り始めました。
こうして3人はサンジャックへの道をたどり始めました。
さて、別れた一行は、ピレネーの難所、何十キロメートルも続く山脈越えの道に差しかかっていました。歩きの速度が落ちています。
そこで、3人は追いつくことができました。
後ろから、3人が近づいてきたことに気づいたエルザとカミユは喜びました。ほかのメンバーの顔も輝きました。苦しい上り坂に挑戦する意欲が強まったのです。