何だか、徳川家康の人生訓のような小見出しになりました。
この映像物語は、巡礼というものが、自分の人生を顧みて背負う荷物=苦悩を見つめる旅であることを見せてくれます。
参加メンバーの苦悩が見えてくるのです。
クロードは怠け者ですが、教養はかなりあるようで、女性との会話にもそつがなく「女あしらい」が巧みです。要は遊び人なのです。
だから、ずっと失業手当てと女性の働きを当てにした「ヒモ」のような生活をしてきたのでしょう。だが、結局は女性に見放されてしまうことになります。
そのうえ、アルコール依存症になりかけています。酒場や酒売り場があるような集落を通ると、彼は嗅覚鋭く必ずそこにしけこむことになります。で、酒浸りになってしまいます。
そのために、兄や姉から蔑まれているのです。旅に持っていく手荷物すらない。もはやこれ以上失うものはないようですが、とうとう最後に自分を見失いかけているようです。
ラムジは北アフリカないし中東からの不法移民の家族に生まれたようです。今では母親との2人暮らしで、貧しい生活です。
彼が失読症になったのは、おそらく幼児教育をまともに受けられなかったためだろうと思われます。今では高校にも通えないらしい。だから、ますますリテラシーのハンディキャップがひどくなってしまいます。
しかも、フランス語は単語の文字表記が面倒で、母音、子音の組み立て綴りが非論理的です。論理を重視するフランス人たちが、よくもまあ、こんな面倒な言語にしがみついているものです。フランス語は、金持ち貴族たちが自分たちの地位をひけらかすために開発した言語ともいえます。
そのためか、フランスでは、失読症や難読症となる人口比がかなり高いといいます。なにしろ、発音しない子音が多いし、母音は大半が複合変則母音ばかりなのですから。
脳のある種の機能が少しでも低下すると、フランス語を読めなくなってしまうことがあるといいます。フランスでは、知能指数がきわめて高い学者のなかにも、失読症や難読症になる比率が目立つそうです。
まして、教育機会を奪われている移民系貧困層では、リテラシーの欠如が増幅され、就学就業の可能性がいよいよ切り縮められていくことになりそうです。
ラムジは劣等感に悩まされています。しかし、知能は決して低くないのです。英語については、それなりの聴覚による知識をため込んでいます。語彙表記の規則も感覚的には理解しているようです――自分で書くことはできないのですが。
旅の始まりで、その悩みをカミユに打ち明けたところ、教師志望の彼女がフランス語リテラシーを教えてくれるということになりました。
カミユは同窓生のサイードに恋をしています。だから、サイードが自分を追いかけるように巡礼旅に加わったことがうれしいのです。
ところが、彼と顔を合わせて言葉を交わすと、つい言い方がとげとげしくなってしまいます。自分の気持ちに素直になれないようです。
将来の志望は教師の職に就くことです。が、自信がないのです。
ラムジの識字教育を引き受けたものの、教育方法の基礎を学んでいないので、成果が出ません。そのせいで悩んでいます。
最近癌からようやく回復したところです。
しかし、薬物治療で髪の毛がすっかり抜け落ちてしまいました。それで、いつも頭部をスカーフで覆っています。
それでも十分に美しいのですが、自分の醜さを隠そうとしているのです。そして、別れた夫によるドメスティック・ヴァイオレンスの記憶にいまだに怯えることもあるようです。
「癌と夫が私のところに戻ってきませんように」というのが、ルピュイの修道院の願いごとメモに書いた願いでした。
移民系のギュイも家族の生計を支えるために苦労しています。
高い報酬を得るために、何か月も家を開ける巡礼旅や山岳のインストラクター=ガイドのプロとして働いています。しかし、留守を守る妻は孤独で、子どもの病気や教育に悩んでいます。
妻は自立心に乏しいらしく、ギュイが親友の男性に家庭の後見を頼んだところ、妻はどっぷり依存して、その男性と浮気をしているらしいのです。とにかく、近くにいる男性に依存し寄りかかっていないと不安らしいのです。
ギュイは、そんな妻や子どものことを遠くからいつも気にかけながら、巡礼ティームの参加者の安全や健康に気を配って、神経をすり減らしているのです。