不思議なもので、旅の道連れとはフランクに話ができる関係になるようです。しかも会話しながらだと、辛い上り坂でも疲れがたまらないし、退屈もしないようです。
というわけで、参加者たちは、そのときどきで会話の相手を変えながら、2人、3人の道連れになって歩き続ける。そして、だんだん1対1の対話風になっていきます。
休憩や食事どきの会話も盛り上がるということになります。
自分の生い立ちを話したり、趣味の会話に花が咲く。こうして、仲間意識を育て、それぞれの個性や人生観などを知ることになる。当然、論争やぶつかり合いもある。そして、相手を理解していく。
というような具合にです。
ラムジはことフランス語となると、アルファベットが読めないし書けません。フランス語の綴りの規則も読み方もわからないのです。要するに文盲に近いのです。
けれども、知能が低いわけではありません。教育機会がひどく乏しかったために、難読症・失読症になってしまったらしいのです。
カミユはラムジのハンディキャップをサイードから聞き出し、フランス語を学びたいというラムジの願いを知って、テューター(個人教授)役を買って出ました。
というのも、彼女は教員志望だからだ。人に教える機会を手にしてみたいということでしょうか。
カミユはまずアルファベット(文字)の読みや母音と子音からなる音節の成り立ちや意味合いを教えようとしました。
B+A=「バ」という音になる、とか…。しかし、これは、すでにアルファベットを書くことができて、いくつもの単語の綴りを経験的に知っている人たちに、教える方法ではないでしょうか。
フランス語文法の教師であるクララは、遠くからそれを見ています。
そもそもクララは、フランス語の学習指導をカミユやエルザ、ラムジから頼まれたのですが、「難読症や失読症の人にフランス語を教える方法がわからないから」と拒否したのです。できないことには手を出さず、弱みを見せず、そうしてとりあえず自分を守るということでしょうか。
ではあるものの、有能な教師である彼女としては、教師としての自分の課題を見つけたともいえます。
ラムジのような立場の人びとを指導する方法を探したい、という意識になったようです。個性や自己主張のぶつかり合いが展開するスランス社会のなかで、ふだんは自己防衛に徹しているけれども、好奇心や学習意欲が強いということでもあるのでしょう。
だから、カミユとラムジを観察しているのです。
ラムジを見ると、日常生活で必要な会話を何とかこなしているではありませんか。話し言葉や聞き言葉ではかなり素質はありそうです。耳はいいようです。ところが、読み書きとなるととことん委縮してしまうようです。
とりわけ若者どうしの砕けた会話とか世俗的な話し言葉については、言葉を使いこなしています。しかも、英語の単語なども聞き知っているようです。
むしろ識字能力の弱点を補うために、聞き取る能力とか直感は磨かれ優れていて、フランス語ほど難解ではない言葉については強い関心があるようです。