第3節 ヨーロッパの都市形成と領主制

この節の目次

1 都市成長過程の地域的「個性」

2 ヨーロッパ中世都市の成長

中世都市とローマの遺制

ローマ教会と都市形成

@ ドイツ諸都市の出現

A 司教座都市の成長

B 遠距離商人の台頭

3 都市の権力構造の転換

コミューン運動と都市統治

4 自立的統治団体としての都市

都市建設と植民

5 東方植民と都市商人

@ ドイツ諸都市の出現

  ゲルマニア=中央ヨーロッパでは11世紀から、古代ローマ帝国の都市遺制を土台としてライン以西、ドーナウ以南に多くの都市集落が成長していく。さらに、ローマ帝国の影響がおよばなかったライン以東でも多くの都市が成立していく。それらのほとんどは、司教座や大修道院とそれを取り巻く宗教施設に隣接して成立したもの、あるいは君主の城郭または防衛施設の近隣周囲に都市集落としてでき上がるかしたものだ。もちろん両方の来歴を持つ都市も多い〔cf. 成瀬他 編〕
  ケルンやレーゲンスブルクのように司教座都市に隣接して遠隔地商人の居住区ができたところもある。だが、集落が成長すると市街に編合されたという。
  そのほかに交易=交通路の要衝(結集地)に定期市を開設する商業都市として成長したものもある。だがやがて、近隣の俗界領主が触手を伸ばしてきたり、ローマ教会の司教座や宗教施設が建設され、都市建設や統治に関する知識や経験を蓄えた聖界領主の権限が強まったりすることになったので、上記いずれかの場合に近づくことになる。

ヨーロッパのローマ教会の主な司教座(9世紀)

  それにしても12世紀になると、都市の教会聖堂は改築されてより大きく美しいロマネスク様式になるとともに、都市統治のための施設が建築され、市街を取り囲む囲壁がつくられたりして、外観上は都市集落の共通の特徴が目立ってくる。というのも、農村的世界からひときわ高く抜け出していく都市の景観=構造は、支配(身分)秩序と権力構造を端的に視覚的=空間的に表現する政治的アリーナとなり、周囲の農村に対して統治の中心としての役割を演じるようになっていくからだ。

  フランク王国時代、8〜9世紀、王族出身の伯や司教がゲルマニアや東部辺境地帯の統治を担い、そこに居館をかまえ、戦時にはローマ時代の城壁で防衛した。各地の都市集落を巡回移動する商人たちも安全のために共同で行動していて、伯や司教の城館の近くに拠点を設けて集住した。これはヴィークスあるいはポルトゥスと呼ばれていた。集落は冬営のための拠点、物品の集積地だった。遍歴商人たちは春から秋には商業旅行=遍歴に出かけ、冬には集落に帰還した。
  こういう商人たちは河川交通の便を利用するために河畔の土地、あるいは内陸交通の結節地を好んだようだ。交易路の便のために、あるいは領主から離れて集住した場合もあったらしい。商人たちは遍歴旅行に出発する直前や直後には、この集住地で市を開いて近隣在地の住民に物品を販売したであろう。

  北西ヨーロッパでは、ヴィークスないしポルトゥスと呼ばれる商業集落が主要な河川や港湾沿いに形成されていった。ネーデルラント=フランデルンでは、ライン河口付近のドレスタット、ムース河畔のマーストリヒト、スヘルデ河畔のヘント、カントヴィクなどが主なもの。
  このような集落のなかでも、11世紀から12世紀にかけてブルッヘ(ブリュージュ)、イーペル(イープル)、ヘント(ガン)などの諸都市が急速に成長するが、その背景には遠距離貿易を営むフランデルン商人の要望に沿いながらも、家政収入を増やそうとする歴代フランデルン伯の政策があった。

  ヴィークスは市を囲む塁壁の外側に――外部からの襲撃、略奪に対して――無防備に置かれていた場合が多かったようだ。あるいは、エアフルトやユトレヒトのように中心集落の市壁と河川を隔てている場合もあった。トゥリーアやクヴェードリンブルクでは城砦近くに商人居住区があった。ところが、ブレーメン、ゴスラル、アイヒシュタットでは、早くも11世紀にヴィークスを堅固な城壁で囲って本来の市域に編合した。それはやがて、中心集落が都市統治団体に富裕な商人層住民を取り込むきっかけとなったという。
  都市集落の周辺の農村集落にも住民が増え、商工業者も多数住みつくようになると、やはり市壁を拡大してその中に取り込むようになった。こうして、古い市域の外側に新しい市壁が幾重にもつくられることもあった。
  何列かの城壁に取り巻かれた市街、中心部のひとかたまりの邸宅居館群、威風を払う教会や聖堂、市場となる広場や広い道路、狭苦しい小路などからなる都市集落の構造。1200年頃にはいまだ都市の役所建物はなかった。こうして都市の独特の景観がつくり出されていくが、こういう居住地はたいていは教会、修道院あるいは君侯の居館や城砦と結びついていた。
  11世紀のゲルマニア=中央ヨーロッパには、司教都市がおよそ40、修道院都市がだいたい20、代官が統治する城砦都市が60ほど、合計で約120ほどの都市集落があったという。ヴィークスは聖俗君侯領主の領地のなかにつくられていて、商人の集落=住民共同体は、君侯領主たちの保護を受けるために税や賦課金を支払い、引き換えに商取引権利とか流通税の減免とか、あるいは掠奪や襲撃、窃盗の防止などを内容とする平和=安全の保証とかの特権を得た。

  商人居住区の周囲に一般の手工業者や小商人が住みついて人口が増大すると、ヴィークスは市街の一角に取り込まれたりしながら、遍歴の出発点や物財の集積地から定期市開催地へと成長していった――たとえばローヌ河上流部でアルプス山麓のブザンソン。ゲルマニア中央部のヴュルツブルクでは毎日市が開かれるようになった。市場開設ための広い場所を確保するために、シュパイアーやシュターデ、フィラッハでは、目抜き通りの幅を広げて長方形の広場をつくったという。あるいは、聖堂や教会の周囲を火除け地としていた場合には、そこが市場広場に変貌したらしい。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

⇒章と節の概要説明を見る

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章−1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章−2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章−3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章−4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望