第3節 ヨーロッパの都市形成と領主制

この節の目次

1 都市成長過程の地域的「個性」

2 ヨーロッパ中世都市の成長

中世都市とローマの遺制

ローマ教会と都市形成

ⅰ ドイツ諸都市の出現

ⅱ 司教座都市の成長

ⅲ 遠距離商人の台頭

3 都市の権力構造の転換

コミューン運動と都市統治

4 自立的統治団体としての都市

都市建設と植民

5 東方植民と都市商人

◆コミューン運動と都市統治◆

  ここで、ゲルマニアでの都市形成と比較するために、西フランク=ガリアでの都市形成の傾向を見ておこう。
  都市の内部統治を担う団体になったコミューン(コムーネ)とは、住民どうしで結んだ誓約にもとづいて結成した都市共同体であって、宣誓共同体コンユーラーティオーと呼ばれている。この組織は、12世紀のヨーロッパで都市の自治権や平和のために周囲の君侯領主とかかわりながら、多様な運動を繰り広げた。
  都市の自由と自治(法)を求める果敢な闘争としては、1112年のケルンのコミューン運動がよく知られている。そこでは、富裕商人層を中核にして武力行使の権限を備えた誓約団体を形成して運動したという。
  だが、都市に対する君侯・領主の影響力が強い北フランスでは、必ずしも近傍の君侯領主からの独立や自治を求めるものではなく、むしろはじめは都市の「領域的平和」を求める運動だった。都市への襲撃や掠奪を冷淡に傍観していたり、領地争いの私闘フェーデを繰り返したりしている領主たちに、平和のための政治的・軍事的関与や停戦を求める動きでもあった。
  というのも、10世紀末以降、帝国や王国の中央権力が衰退・解体していく状況下で上級の裁判権が失われてしまったために混乱や暴力の脅威が増大していたからだ。ローマ教会の大司教たちは司教区ごとに「神の平和 pax dei 」「神の休戦」と呼ばれる平和令を発布し、領主としての司教や公伯諸侯に地方的な統治強化を要請し、私戦の抑制を求めた。その原則・規範が地方ごとの平和を求める民衆運動という形で展開し、都市コミューン運動がその一翼を担ったらしい。
  とはいえ、領主が都市集落を抑圧や財政的収奪の対象としようとした場合には、領主権からの相対的な自立=自治権を求める運動に転化したようだ。

  というわけで、都市コミューン運動の形態や目的はじつに多様だった。もっぱら都市住民によって担われた場合にはたとえば、1070年、カンブレーの運動がある。また、1108年のノワイヨン、1114年のヴァランシュエンヌでは、都市領主としての伯や司教が主導していたという。1113年、アミアンでは都市領主と住民とが共同してコミューンを結成した。例外的に、1112年のランでは、武力紛争をともなう都市住民の反乱という形態をとった。
  そのほかに王権が庇護育成する場合もあった。そのさい王権が弱体だったフランスでは、王権は王領地やその近隣で王の権力を浸透させやすい統治制度を構築する政策の一環として位置づけたようだ。だから、コミューンの結成やそれへ参加の権利は、むしろ少数の有力階級に限定された特権だった。王は、市域内に土地や家屋を保有する富裕市民層に限定して特許状を与え、誓約団体を土台に市政長官やら裁判を執務する参審人などの役職を選ばせて、少数の有力者による寡頭政を樹立させた。

  王権は概して王領地内では「自立的なコミューン運動」を許さなかった――王権はオルレアンやポワティエ、トゥールなどでは運動を鎮圧、抑圧したという。その代わり王が諸侯などと対立している場合、王権が浸透していない諸侯の支配圏では、あるいは王権に敵対的な諸侯に取り囲まれている王直轄の都市については、王権はコミューンを支持した。
  12世紀、ルイ6世やルイ7世は、既成の都市コミューンに特許状を与えて公認して王権の統治制度に組み込む。フィリップ・オーギュスト(在位1180~1223)は王権統治上の利点を考慮して、多くのコミューンの特許状を再確認したり新たに特許状を付与したりして、多くの都市でのコミューンを庇護育成した。王は「自治と自由」を認めることと引き換えに都市に軍役・納税を義務づけて、王の直轄領や王国での統治秩序に編合した。都市は王に臣従するのと引き換えに、王権の統制・庇護下で周囲の領主たちに対して自治をめぐる諸権利を保証された。

  12世紀半ばトゥールネーではコミューンが成立し、1188年にカペー家の王フィリップ・オーギュストからコミューン特許状を獲得して都市の自治権を確立した。33か条からなる特許状は、ブルゲンセス――市民すなわち合法的な人 homo legitimis ――は本来司教が保持していた上級裁判権をも掌握、刑事・民事・治安などの広範な分野にわたる自治権を持つものと定めている。
  コミューンを指導していたのは「聖マリア衆」で、市の司教座教会であるノートルダム教会に託身した市民集団だった。彼らは10世紀以来、都市内に土地を保有する富裕層で、在地近隣やスヘルデ河をつうじて北海貿易に従事する商人層だった。その家系は12世紀には都市貴族 patriziat 家門をなし、市政の主要な担い手として参審人や誓約人(コミューンの代表役)などの役職を占めていた。

  他方で地中海沿岸のプロヴァンスやピエモンテ、南部のガスコーニュやラングドック地方では、ローマ以来の伝統を受け継ぎながら都市成立の当初から、騎士階級を中心とする富裕な都市所有者層が上級裁判権を掌握してコンシュラと呼ばれる都市統治組織を運営していた。コンシュラはコンシュルという都市役人の団体から構成され、この団体は1130年代からアヴィニョン、アルル、トゥールーズ、ナルボンヌ、ニース、ニームなどで成立したという。 コンシュルの大半は騎士 milites と呼ばれる都市貴族で、これに12世紀後半からは有力商人などの富裕階級が加わるようになった。

前のペイジに戻るペイジトップ | 次のペイジに進む

世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

⇒章と節の概要説明を見る

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望