補章―3 ヨーロッパの地政学的構造
   ――中世から近代初期

この章の目次

1 ヨーロッパ文明の地理的空間

ⅰ イスラムの席巻とレコンキスタ

ⅱ 地中海の攻防

ⅲ ヨーロッパなるものの形成

2 北西ヨーロッパ――国家形成の特異空間

ⅰ 貿易網の連結

ⅱ 北海沿岸の植民と侯国形成

ⅲ 北西ヨーロッパの特異な連関

3 フランク王国

ⅰ 大王国=帝国の成立

ⅱ 帝国なるものの実態

ⅲ 王国の分解と教会組織

4 西ヨーロッパの地政学

ⅰ 西フランク(ガリア)

ⅱ ゲルマニア

ⅲ ヒスパニア

5 フランス王国の政治的分裂

ⅰ 王権の衰弱と諸侯の対抗

ⅱ フランデルンをめぐる角逐

ⅲ イングランドの幸運

ⅳ フランス諸地方の分立性

ⅶ ハプスブルク王朝との対抗

6 イタリアと地中海

ⅰ ローマ帝国の遺制

ⅱ ヨーロッパの地中海貿易

ⅲ 有力諸王権の対抗

7 宗教改革と権力闘争

8 ヨーロッパ世界経済の出現

ⅰ 格差と敵対の増幅

ⅱ 帝国という幻想

ⅲ 世界経済の地政学

ナ―ポリ=シチリア王国の王政の衰微

  11世紀、ビザンツ帝国と地中海貿易が生み出す富に魅了され、また十字軍遠征に関与する傭兵騎士団として、ノルマン族フランク人たちが地中海に進出してきた。彼らは南イタリアをはじめ地中海島嶼を征服していくつかの侯国(騎士団領)を形成した。なかでもロベール・ジスカールは11世紀半ばに南イタリアを支配し、フランク諸侯の盟主となりノルマン公領に君臨することになった。
  だが、12世紀はじめにはノルマン公家は没落し、これまたフランク族の有力領主であるシチリア伯が南部イタリアとシチリアを支配することになった。1130年には、伯領はナーポリ=シチリア二重王国となった。   ところがまもなく、アドリア海とイタリアをめぐってドイツのローマ皇帝シュタウフェン家とビザンツ皇帝の勢力争いが始まり、イタリア諸都市もナ―ポリ=シチリア王国もまた戦乱に巻き込まれることになった。

  イタリアではローマ皇帝の勢力が拡大し、しかも1176年ビザンツ帝国はセルジュクトゥルコとの海戦に敗れたため、ドイツ皇帝フリードリッヒと講和した。そのため、イタリアはドイツ皇帝の勢力下に置かれるようになった。1184年、フリードリッヒの長子ハインリッヒはイタリア王位を獲得し、シチリア王女と結婚した。90年に皇帝位を継承したハインリッヒは94年、シチリア王位も獲得した。
  しかし、13世紀半ばにはシュタウフェン王朝は没落し、ドイツ皇帝の空位が続くことになった。イタリアにおける都市国家群や教皇を巻き込んだ勢力争いはさらに熾烈になっていくことになった。   そして1266年、フランスの有力君侯アンジュー伯家がナ―ポリ=シチリア王位を手に入れた。
  だが、アンジュ―王権の統治は在地勢力の反発を買い、1282年にはシチリア島で大反乱――「シチリアの晩禱」事件――が勃発した。反乱派は、ヒスパニアのアラゴン王家に支援を求め、アラゴン王軍が攻め込んでシチリア王国を奪い取った。ナ―ポリ王国はアンジュー家に支配下に残された

  ところが、両国とも域内で地方領主は王権から独立して分立割拠し、王領地や王室の課税権を好き勝手に切り取って奪い合うことになった。 そもそもナ―ポリやシチリアのような辺境では、地方領主たちの独立性が強く、王権はヨーロッパの王室外交で箔をつけるための飾りにすぎなかった。領主たちは自分たちの地方分立性を維持するため、域外遠方の名門君侯家系から王を迎えながら、王権を掣肘・抑制して王室家政や宮廷財政に介入して、分立割拠的な秩序――無秩序アナーキーというべきか――既得権益を守り抜こうとしていた。
  王権が空洞化し地方領主貴族が分立割拠するという状態は、域外北イタリア諸都市の商業資本にとっては、逼迫し切った王室財政にすり寄って、相当額の賦課金を上納するのと引き換えに王国内での通商特権を獲得し、都市集落や農村を支配する権力を獲得する絶好の機会だった。商人たちは都市には地中海貿易における彼らの貿易網に奉仕=従属する役割を押し付け、農村では地方領主を抱き込み経済的に従属させて、小麦やオリーヴ、ぶどう、綿花などの食糧・原料作物の栽培に特化させていった。
  イマニュエル・ウォラーステインが指摘するように、王権の衰退と空洞化には、必ずといっていいほど現地経済の(ヨーロッパ的規模での社会的分業体系における)周縁化 peripheralization がともなうことになるのだった。

  ほかにも たとえば、14世紀はじめ、バルカン半島のハンガリア王国でも、分立割拠する地方領主たちは結託して王をフランス王ヴァロワ家から迎えた。そこでも王権が衰退し、地方領主たちが分立割拠していた。王の家柄は権門であっても、僻遠の地まで権威や影響力をおよぼすことはないから、在地貴族層にとっては既得特権を侵害される怖れはなかったからだ。そして彼らは、北イタリア諸都市の商人たちに従属した所領経営――西ヨーロッパの需要に合わせてワイン(ぶどう栽培)生産や綿花栽培などへのモノカルチャー化――を余儀なくされることになっていく。   では、家門のメンバーを僻遠の地に王として送り出す名門君侯家系の側の意図や思惑はどこにあったのだろうか。おそらく封建法観念に束縛され、家門の名誉や威勢の拡大につながると考えてのことだろう。だが、派兵や威嚇効果も届かない遠隔地で権威が空洞化している王位を手にしたとしても、家門の本領での権力の保持や増大にはつながらなかった。そういう家門は、たとえばアンジュー家のように、だいたいがやがて没落していった。

  とはいえ、ヨーロッパではそののちも辺境地帯で王権が空洞化すると、分立割拠する領主貴族たちが同盟して遠隔の名門家系から王あるいは女王を迎えることになるのだった。ポーランド王国やボヘミア王国のように。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

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序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望